かつて沖縄にも鉄道があった 宜野湾市立博物館が路線跡たどる講座


この記事を書いた人 Avatar photo 慶田城 七瀬
高嶺駅一帯に製糖工場があったことを写真で示し、軽便鉄道と製糖産業との関わりを説明する講師の波平エリ子さん(中央)=11月1日、糸満市内(宜野湾市立博物館提供)

 【宜野湾・糸満】宜野湾市立博物館主催の市民講座「軽便鉄道の旅Part2~糸満線~」が1日、開かれた。戦前に那覇を起点に運行していた県営の「軽便鉄道」の路線跡の南城市や糸満市をたどり、歴史を振り返った。沖縄女子短期大学総合ビジネス学科准教授で、おきなわ散策はんじゃ会代表の波平エリ子さんが講師を務めた。(中川廣江通信員)
 軽便鉄道の糸満線は、与那原線、嘉手納線に続いて大正12(1923)年7月に開業した。那覇から現在の南風原町を通り終点の糸満駅まで14駅あった。講座では、現在の沖縄都市モノレール旭橋駅付近にあった那覇駅跡地をスタートし、1944年に稲嶺駅付近(南城市)で起きた列車爆発事故現場跡、高嶺製糖工場跡一帯(糸満市)、2015年に発見された稲嶺駅前の地下水路などを巡った。
 受講者は「今は見えない軽便鉄道が説明などによって、見えてくるようだった」「戦前に近代的な軽便があったことを初めて知り、戦争で失ったのはとても残念だ」などと感想を寄せた。
 波平さんは「地域の観光振興の観点から遺構が残されている場所や跡地に説明板の設置をするなど、沖縄の歴史や産業、生活文化を伝える上で行政による早急な取り組みが必要である」と指摘した。