新基地反対、最期の日まで…高垣喜三さん急死 「黙々と抗議」「太陽のような人」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
訪れた人たちに土砂搬出の状況を説明する高垣喜三さん=2019年4月、本部港塩川地区(提供)

 【本部】名護市辺野古の新基地建設計画に対する抗議運動に関わってきた本部町瀬底の高垣喜三さん(71)が1日夜、名護市内の病院で亡くなった。名護市安和の琉球セメント桟橋や本部町の本部港塩川地区で続いている土砂搬出作業などについて、高垣さんは本部町島ぐるみ会議のメンバーとして監視活動などに取り組んできたほか、行政機関と交渉するなどして一連の工事手続きの違法性を厳しく追及してきた。亡くなった1日も塩川地区での監視に参加し、帰宅後に自宅で体調を崩したところ救急搬送されたが亡くなった。(塚崎昇平)

 陸地を挟み、辺野古の反対側にある本部半島の沿岸でも土砂搬出作業が続いている。安和での作業は2018年12月3日から始まった。それ以前から工事の関連作業が着手され、抗議する人々に対して県警の機動隊員も動員されるなど、沿岸一帯は以前と異なり、慌ただしい雰囲気になっていた。大型車が土ぼこりを巻き上げ、鋭い日差しが降り注ぐ中、高垣さんは反対運動の前線で連日立ち続けていた。工事作業や運搬船の稼働数を数えたり、関係法規から逸脱するような作業がないかなど環境への影響を調べたりした。

 高垣さんと妻の縁さん(65)は2011年、沖縄に移住した。縁さんが勤務していたぶどうの木保育園=京都府=が、伊江島の土地闘争を率いた故阿波根昌鴻さんの思想を伝える「わびあいの里」(謝花悦子理事長)と交流があったことをきっかけに、基地問題に関心を抱いていた。

 沖縄で暮らして10年ほどの間に、高垣さんは本部町などとの交渉を通し、工事作業の問題点などを指摘してきた。縁さんは「まじめで、正義感の強い人だった。若い人たちのことを考え続け、しんどい中でも抗議行動にやりがいを持っていた」と夫をねぎらった。

 わびあいの里で常務理事を務め、資料の分析などに当たっていた。わびあいの里などは近年「陳情日記」「爆弾日記」など、阿波根さんの残した土地闘争の記録を刊行し続けている。作業に携わってきた鳥山淳琉球大教授(沖縄現代史)は高垣さんについて「継続的な取り組みの中で、頼りになる人物だった」と振り返る。

 高垣さんの死去から一夜明けた2日、共に新基地建設への反対運動を続けてきた仲間たちが次々に弔問し、「毎日黙々と抗議を重ね、活動の柱のような存在だった」と突然の死を悼んだ。わびあいの里の謝花理事長は「里にとっては太陽のような人物でその光が消えた」と嘆いた。沖縄平和運動センターの山城博治議長は「立場の異なる土砂搬出の業者とも関係を築いていた。常に冷静で穏やか、声を荒らげることが無い人柄だった。とにかく寂しく、つらい」と目に涙を浮かべた。