漫湖が「海」だった面影を…1960年代からの写真80枚寄贈 南城の元教員「なじみの景色記録」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
1960年代に知念さんが撮影した漫湖の写真。船が浮いており、奥に見える陸地部分も開発が進んでいないことが分かる(知念かねみさん提供)

 南城市の知念かねみさん(79)が11月22日、1960年代から撮影してきた漫湖の写真約80点を漫湖水鳥・湿地センター(豊見城市)に寄贈した。ラムサール条約に登録されている漫湖は、周辺地域の開発やマングローブの繁殖など複合的な要因で短期間に環境が急速に変わり、「陸地化」していると指摘される。だが、60年代に撮影された写真には船が浮かぶ様子が確認できた。この年代の写真は珍しく、湿地センターは「貴重な資料だ。撮影場所と同じ地点から変化を見比べたい」と話した。

 理科教諭だった知念さんは那覇市立古蔵中学校に勤務していた60年代に、漫湖に船が浮かぶ様子や釣りを楽しむ人などの写真を撮影した。爬龍橋(はりゅうばし)(94年開通)やとよみ大橋(93年開通)の工事などで、周辺の景色が大きく変わることが予想されたため、その後も定点撮影を続けてきた。漫湖の陸地化はマングローブの繁殖も一因とされる。96年に撮影した漫湖周辺の写真はマングローブが少ないが、2002年の写真は生い茂っている。マングローブは07年から漫湖の保全事業で伐採が進められた。

 湿地センターによると、漫湖は戦前から60年代ごろは「海」と言われるほど船が行き交っていた。70年代ごろからは軟らかい泥干潟になったが、現在は岸側ならスニーカーを履いて歩けるほど硬化している。こうした環境の変化が渡り鳥の飛来など生態系にも影響しているとされる。

 知念さんは「教員時代、生徒が漫湖でいかだに乗ったことを楽しく話していた。なじみのある場所なので景色が変わる前に記録しようと撮影してきた」と懐かしんだ。

 写真の提供を受けた湿地センターの池村浩明さんは「周辺住民への聞き取りでも、かつてはいかだで遊んだり、ハーリー祭が開かれたりし、水も多かったことが分かっているが、写真はなかなか残っていない」と説明。「専門家にも見てもらい、現在の状況と比較することで見えることがないか調べたい」と話した。

とよみ大橋や爬龍橋の建設が進められた1990年頃の漫湖(知念かねみさん提供)
1996年に豊見城城址公園付近から撮影した漫湖。当時はまだマングローブは多く生えていない(知念かねみさん提供)
2002年に豊見城城址公園付近から撮影した漫湖。1996年よりもマングローブが多く生えている(知念かねみさん提供)