ハワイ県人の思いは 「歴史のシンボル」意識薄く懸念 和多エリック氏寄稿<首里城再建を考える・主体性回復への道>


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首里城に向かって御願をするハワイの御冠船歌舞団の和多エリックさん(右)と金城ノーマンさん=2019年11月5日、那覇市の龍潭

 2019年10月30日、私たちハワイで琉球芸能を継承する御冠船(うくゎんしん)歌舞団のメンバーは学問(がくむん)ツアーのため沖縄島を訪れていた。まさかと思う衝撃的な首里城(しゅいぐすく)(私はシュリジョウ、ではなくシュイグスクと呼んでいる)火災のニュースを目の当たりにし、深い悲しみに包まれた。高齢のメンバーは「私は再建される首里城を見ることはないかもしれない、けれども私たちのアイデンティティーの象徴を後世の人たちに再び見せてあげたい」と寄付金を持ってきた。

 心の奥の「沖縄」

 ハワイでは沖縄を「母国」と捉え、心の奥深くに沖縄を持って生きている人たちがいる。ハワイに生まれた私たちが沖縄を想い伝統芸能を学ぶのに対し、沖縄に生まれ育ったシマンチュには例えば学校教育の中でその歴史、伝統、文化、言語などを学ぶ機会がほとんど与えられていないのだと知り驚いた。ハワイに住み沖縄に一度も訪れたことがないメンバーも首里城焼失に涙した。新天地ハワイに夢を求めやってきた私たちの祖先は、苦しい生活の中、助けあい、支え合い頑張り抜いた。その心の拠り所となったのが沖縄だ。彼らの子や孫、ひ孫である私たちハワイのシマンチュにとっても沖縄は特別な存在であり、首里城はそのシンボルの一つだった。首里城再建の話が出た時には喜んで多くの人が寄付を申し出た。

 しかし、日本政府と一部の沖縄の代表人は違ったフォーカスで首里城を再建しているのではないかという懸念がある。再建・復元は沖縄の深い歴史、文化、伝統にのっとったものでなければならないと私たちは考える。

 私たちが住むハワイも、かつては王国だった。ホノルルにあるイオラニ宮殿は今日でも在りし日のハワイ王国を思い起こさせるシンボルとして、またハワイの歴史、文化、言語、芸術復興の源として崇(あが)められている。1882年に建てられたイオラニ宮殿は、カラカウア王の住居として用いられ、その後リリウオカラニ王女に引き継がれた。その当時、米国のホワイトハウスにさえなかった水洗トイレや電気などが設置された建物だった。外賓をもてなす優雅な晩餐会やコンサートが開催され、年に一度クリスマスにはリリウオカラニ王女が孤児たちを招き祝った。イオラニ宮殿は、ハワイの人々にとっても、さとうきび畑で働くために渡ってきた移民にとっても平和と調和のシンボルだった。

 再発見の場

 1893年にハワイ王国が違法に併合され、女王は宮殿の一屋に幽閉された。イオラニ宮殿はリリウオカラニ女王を転覆させた米国実業家らに支配され、その後アメリカ政府のオフィスとして使用された。宮殿内の装飾品は売り払われ、ペンキで塗り替えられハワイ国民が誇りとしてきた偉大なる平和のシンボルが跡形もなく消え去った。ハワイ国民をいち早くアメリカナイズするためのアメリカ政府の思惑でもあった。

 その後ハワイ州政府のビルが建てられ、政府事務所がイオラニ宮殿から撤退し、1969年、ついに宮殿の復元が始まった。ハワイの先住民族がハワイの真の歴史を学び直し、言語、歴史、文化に関心を持つようになった「ハワイアンルネッサンス」の幕開けとなった。

 多大なダメージを与えた宮殿も回復作業が施され、王室の品々は集められ宮殿に寄付されたが、大部分の家具や絵画、写真や芸術品などは行方を捜し返してもらわなければならず、その作業は今なお続いている。

 イオラニ宮殿は現在、ハワイのシンボルとして、またハワイの人々の歴史としてその偉大さを誇っている。イオラニ宮殿に美と尊敬が戻った。地元の人々や学生を始め、大勢の旅行者を含む訪問者は宮殿内をゆっくりと歩み、ハワイの歴史を学んでいる。特別な日にはハワイの踊り、儀式、記念式典に立ち会うこともできる。訪問者たちはそこが聖なる場所であることを忘れず、常時「尊敬の念を忘れないように」と注意を受ける。宮殿はハワイの人々にとって、自分がハワイアンであることの誇りを持ち感じる場所であり、言語や歴史文化を再発見し人々と過去をつなぐ重要な場所となっている。

 薄まる存在

 ハワイで生まれたシマンチュとして、ハワイと沖縄の歴史的類似点をひしひしと感じている。しかしイオラニ宮殿と首里城を比較するとき、なぜ首里城がイオラニ宮殿のように扱われていないのか、なぜ多くの沖縄の人々が家族連れで、また学生たちの学びの場として首里城を訪れてこなかったのか、琉球の歴史を教えられていないのか、不思議に思っていた。旅行者が大声で笑いあい、変な格好をして写真を撮り、御嶽である石垣に座ったり、よじ登ったり、そうかと思えば旅行者向けの土産屋が立ち並ぶ。シンボルであるはずの首里城の存在が薄まっているように感じていた。

 首里城火災を受け、張り裂けんばかりの気持ちになった。しかし、再度復元されるのであれば、より強い沖縄の再建をと願ってもいる。首里城の復旧とともに琉球の言語、伝統文化、歴史などの復興を、ルネッサンスの風が沖縄に吹くことを願ってやまない。首里城が観光客向けのテーマパークとしてではなく、沖縄の人々の大切な一部であり、イオラニ宮殿のように人々に愛され尊敬される存在となってほしい。 

和多 エリック

和多 エリック​(わだ・えりっく)

ハワイ生まれ沖縄県系4世、ハワイで沖縄の伝統芸能を継承する琉球芸能団「御冠船歌舞団」芸術監督。