三好達治賞に沖縄ゆかりの2氏 「偶然ではない」選考委員長と委員が寄稿


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 大阪市が主催する「三好達治賞」の第15回受賞作に、名護市在住の歌人・詩人・小説家、佐藤モニカさん(46)=千葉県出身=の詩集「世界は朝の」(新星出版)と、1月に死去した宮古島出身の詩人、与那覇幹夫さん(享年80歳)の詩集「時空の中洲で」(あすら舎)が選ばれた。沖縄在住・出身者の受賞は初めて。佐藤さんは最年少受賞だった。選考委員長の以倉紘平氏(詩人、H氏賞、歴程賞、現代詩人賞)と、選考委員の高橋順子氏(詩人、読売文学賞、藤村記念歴程賞、三好達治賞)に選評を寄稿してもらった。

◆選考委員長・以倉紘平 いのちへの祈りのうた

以倉 紘平

 三好達治賞最終回に、共に沖縄の詩人が選ばれたことは、たんなる偶然とは思われない。

 両詩人の詩の根は深く、作者を超えた遥かないのちと繋(つな)がりを有しているからである。

 両詩集について、私はすでに「文學界」5月号で、与那覇幹夫氏以下次のように記した。「琉球列島の宮古島に生まれた作者は、広大な空と海の、無限の時空間の広がりの中で、この島で生きるとは、どういうことかを、渾身の力で問うている。生きとし生けるものの、精気を吸って、一層煌煌と照り映える陽ざしの、尋常でない明るさに地獄を見る詩人の感受性の背後には、億年の珊瑚の死骸で出来た貧しい島の歴史―飢饉、水不足、琉球王朝からの人頭税に苦しめられた島人の歴史がある。生きるとは何か、存在とは何か。大きな実存の問いを抱えた詩人が、遺書の如き詩集を残して亡くなった。詩がいのちから、渾身から生まれることを明かした真(まこと)の詩集と思う。本土では、このような詩集は、もうめったに見られない。

 『世界は朝の』は、かくの如き健やかな音楽をもつ詩集も、本土では、めったに見られない。作者は日系ブラジル移民四代目の子孫である。数々の短歌賞の受賞歴を持つ作者は、日本語の、やすらかで、のびらかなリズムを、この詩集にも存分に生かしている。我が子の生誕の聖なる歓びを、天地誕生の如き新鮮な心でうたった第一部と曽祖父母等の苦難・苦闘の歴史を、肯定的にうたった第二部とは、見事に繋がっていて、歴史と個の交差する地点から、讃歌と鎮魂の音楽が聞こえる。人間の運命に対する祈りが伝わってくる。三好達治賞最終回に沖縄から射してくる光に出会えたことを嬉しく思う。」

 両詩集に共通するのは、作者という個人を超えた、いのちへの祈りのうたが聞こえることである。全身詩人与那覇幹夫は、産土(うぶすな)、宮古島の生存の厳しさを、第一詩集『赤土の恋』以来<明るいんね 宮古・・ 明るいんね地獄>という旋律に託して、言葉を変えて繰り返しうたった。本詩集では、作者一個人の認識を超えて、何者かの言(ごと)ぶれ、数限りない死者の遺念の声としてうたった。この声を聞いたものは、魔除(まよ)けの呪文を唱えて<尋常ならざる明るさ>の<目眩(めまい)の底に転がって>いる他ないというのだ。与那覇幹夫は、幾世にも及ぶ数限りない島人の嘆きを、歴史からの告発を、祈りをこめてうたったのだ。

 佐藤モニカ詩集『世界は朝の』は、前詩集『サントス港』も含めて、その文体の核心は、話体、声である。美しい日本語のうたである。<ごらん 白いヨットだよ/おまえは白いヨットを見てまぶしそうな顔をした>相手への思いに満ちた言葉。第II章のブラジルに骨を埋めたご先祖に捧げられたうたは、一種の相聞歌と言ってよい。日本語への郷愁は、ご先祖の心の奥深く、自己存在の証(あかし)として、渦巻き続けたに相違ない。三好賞選考基準は「知的で美しい日本語で書かれた詩集」であった。個人を超えた祈りのうたは、みな美しい。
 (詩人)

◆選考委員・高橋順子 書かれるべきもの芯に

高橋 順子

 今度の、そして最後となってしまった第15回三好達治賞には、通常は一作のところを二作授賞ということになった。決まってみれば二作とも沖縄にゆかりの詩人によって書かれたものだった。偶然というだけではすまされないものがあるかもしれない。

 与那覇幹夫さんの『時空の中洲で』には感銘を受けた。南の自然に育まれた熱い詩集である。

 与那覇さんが二月に行われた選考会の一カ月前に逝去されたことを聞き、詩集の言葉が一つひとつ重たく降ってくるのを感じた。与那覇さんは宮古島で人となった。荒々しくも神秘的な自然と、政治的社会的受難をどう抱えこんでいったらいいのか。考えつめて言葉を発すれば詩にならざるをえない。

 「魂」に「じぶん」とか「わたし」とルビをふり、「私」に「いのち」とルビをふるのは、意あまってことば足らず、粗削りといえるが、それゆえの力強さに心を動かされた。

 集中に「柞(イスノキ)」という美しい詩がある。その木は、島に男の子が生まれると植えられる木で、雨をためるためだそうだ。

  今度島に帰ったら

  私の胸を、満杯にしてくれ!

と与那覇さんは心の中で叫ぶ。木と人との類(たぐい)まれな共生である。

 与那覇さんの詩はゴツゴツした木の瘤(こぶ)の印象があり、読む者を立ち止まらせるが、一方、佐藤モニカさんの詩集『世界は朝の』は、すらすら読めて好対照である。将来を嘱望される歌人でもあるが、詩集のタイトルにしてからが、短歌の中の七音のように、朝の何かしら、と読者を軽やかにひっぱってゆく。表題作ともいえる詩「世界は朝の匂いで」はさわやかな幸福感につつまれている。

 佐藤さんの曾祖父はブラジル移民人だが、第II章はその苦難に満ちた物語を淡々と紡ぎ、心を打つ。祖父の一人語りに、娘が日本に行って結婚して孫が生まれた、その子の名はモニカ、ブラジルではよくある名の一つと明かす印象的な場面があるが、そこで詩集全体がつながりをもってくる。

 第II章を読みおえた後では、第I章の幸福感に、年月と地理の遠い厚みが付いてくるのを感じる。のびやかな筆致の一方で、ぜんたいに刈り込み不足であることは感じないわけにはいかなかったが、もし刈り込んでいったら、これらの作品のよさは何割か失われてしまうだろう。あるいは作者は小説にも筆を染めているそうなので、散文脈に意をもちいているのかもしれない。

 いま現代詩の世界では、外界とのちょっとした不和から繊細な不協和音のような芸術的な詩を書く詩人が多く目につくが、与那覇さんも佐藤さんも彼らとはまったくちがう。書かれるべきものがあって、それを芯に据えてもっている。やわではない。沖縄の風土また地霊のたまものではないか、という気もしてきた。
 (詩人)