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【宜野湾】宜野湾市立普天間第二小学校に米軍ヘリの窓が落下した2017年当時、同小PTA会長だった徳村篤志さん(45)=市普天間、塗装業=は「子どもたちの安全安心を、少しでも担保できるよう動かないといけない」と、関係機関への対策要請に奔走した。あれから3年、事故の記憶が薄れてきたと感じることもあるが、「子どもたちを守るために、決して忘れないでほしい」と願っている。(金良孝矢)
当時は次男が6年生だった。「運動場にヘリから何かが落ちた」。PTAの事務職員からの電話で事故を知り、詳細を把握しようとすぐに学校へ向かった。学校敷地内には多数のパトカーが乗り入れ、警察官が現場を規制。「異様な、普通ではあり得ない」光景だった。
保護者からは「基地撤去」や「学校移転」を求める声も上がったが、実現可能性から、避難用工作物の設置を国や市に要望することになった。落下事故を巡り、学校には「やらせだろ」などと誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の電話も相次いだ。当事者のPTA会長として積極的に動くことを決めた。
6カ所の設置を求めた避難用工作物は、4カ所に設けられた。子どもたちを喜ばせるため、正門にあるアーチの虹を塗り直したり、北海道から雪を運んで来る企画に携わったりした。
市我如古で生まれ育った徳村さんは約20年前に普天間に移り住んだ。米軍基地は常に近くにあり「意識は特段していなかった」と振り返る。しかし04年8月に沖縄国際大学にヘリが墜落して以降は危険性をより意識するように。ヘリは今も学校上空周辺を飛び「何も変わっていない」とも感じている。「子どもたちのことを最優先に考えてほしい」と願う。その思いは3年たっても変わらない。