<不条理への抵抗・コザ騒動50年>今なお米軍基地が優先 「安保法体系」解消を…新垣勉


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 1970年の秋、私は司法試験に合格し、12月久しぶりに沖縄に帰郷していた。そんなとき「コザ暴動」の報道に接した。そのときの衝撃は忘れがたい。あの「温和な沖縄の人」が「暴動」を起こすとは! 当時24歳で、歴史的変動期に沖縄にいなかった私の率直な「驚き」であり、それほどまでに不満と怒りが鬱積(うっせき)していたのかという実感であった。

 私は、1964年に大学進学のため東京に出るまで、米軍基地が沖縄・日本に存在することに何の違和感も持たず、それが当たり前の状況だと感じていた。沖縄の異常さを感じたのは、東京に出て外部から沖縄を見たときであった。1965年8月、たまたま夏休みで帰省していたとき、佐藤栄作総理大臣の来沖と出会い東急ホテル前まで1号線をデモした。今から振り返ると、私の政治的意識の目覚めであったように思う。

コザ騒動の約5年前、当時の佐藤栄作首相が来沖した際、米統治下が続く中で不条理な社会状況に不満や怒りが蓄積し、抗議する県民ら。警官隊が解散命令を出し、大荒れの状態となった=1965年8月19日、那覇市天久の東急ホテル前

 

重層的不満と怒り

 当時の復帰運動、米軍基地反対運動は、復帰協、政党、各組合、各民主団体等により組織的な活動として取り組まれていた。そんな中で、米兵の交通事故を契機に自然発生的に「暴動」と称される事態が起きたのである。

 「コザ暴動」を振り返ると、その根源には異民族支配に対する民族的な不満・怒り、米軍基地優先の社会構造がもたらす住民生活の軽視、住民の権利保護の軽視に起因する不満・怒りが蓄積されそれが発火点に達したものだと感じる。

 1972年5月に復帰が実現した。私は、その翌年4月から沖縄で弁護士としての活動を始めた。以来、公用地暫定使用法違憲訴訟を始め、米軍用地強制使用裁決阻止のための公開審理闘争、米軍用地強制使用違憲訴訟、米軍用地強制使用特措法違憲訴訟、大田知事代理署名拒否訴訟、普天間基地爆音訴訟、加害者米兵に対する損害賠償訴訟など多くの米軍基地関係訴訟に参加してきた。

 その中から見えてきたのは、米軍基地優先の社会構造と法構造であった。復帰により、異民族支配に対する民族的な不満・怒りは一応解消された。それは外観上、沖縄県も他府県と同じように日本国憲法の適用を受けたからである。しかし、米軍基地優先の社会構造・法構造は復帰前と同様に存続し続けている。これは、今も変わらない。

 日本弁護士連合会は復帰の日に「(米軍)基地の存在は、軍犯罪、基地災害その他の人権侵害や経済開発の障害等沖縄における諸悪の根源である」との会長声明を発した。この指摘は復帰後、現在まで変わらない沖縄の実相を突いている。

諸悪の根源

 「諸悪の根源」の要をなすのが安保条約である。憲法学者・長谷川正安は、わが国には「憲法体系」と「安保法体系」の二つの法体系が存在しせめぎ合っていると喝破したが、残念ながらこの状況は変わっていない。米軍基地優先の社会構造・法構造を解消し、人権保障を徹底するためには「安保法体系」を解消し、憲法体系に収斂(しゅうれん)することが不可欠である。

 憲法の射程が及ばない「安保法体系」の存在という法現象が生じていること自体が法的に異常であり大問題である。この異常を解消するためには、最高裁判所が違憲立法審査権を行使することが不可欠であるが、現在の最高裁判所は「統治行為論」を理由に、安保法体系の矛盾を解消し、憲法体系に一元化するところまではいっていない。最高裁判所を変えるという広い視野をもった取り組み・闘いがいま求められている。米軍基地問題は小手先の法解釈ではどうにもならない状況にきていることを認め、私たちはこれを深刻な課題として受け止めなければならない。

 その上で、在野法曹は一つ一つの問題を地道に取り上げて社会問題化し、法的に可能な限り地道に解決するという取り組みを行わなければならない。何度も裁判で「違法」と指弾されながら今なお存続し続ける嘉手納飛行場、普天間飛行場の爆音、公務中米兵事件について日本の司法が刑事処罰しえない状況、米兵等による公務外事件事故の被害者は放置され、被害補償が十分に行われない状況は深刻である。それでも、在野の法曹として、弁護士は「安保法体系」の矛盾を実感として感じながらも、憲法を武器に解決に向けて地道な努力を続けなければならない。

主権者の自覚

新垣 勉

 アメリカの大統領選挙は、民主主義の持つダイナミックなエネルギーと意味を改めて考えさせる恰好(かっこう)の事例であった。米軍基地優先の社会構造・法構造の要をなすのは安保条約であり「安保法体系」であるが、今日の病理はそれにとどまらず、わが国の政策決定の価値判断が覇権国家アメリカへの依存を最優先させる仕方で行われ、国民の中にも「アメリカと共同歩調を取れば、わが国の国益にも合致する」との思想が浸透しているところに、その深刻さがあるように思う。

 この政策判断の価値観、国民の思想を変革しない限り、米軍基地優先の社会構造を動かすことは困難な状況に至っているように思われる。

 コザ暴動から50年、あのときの社会不満・怒りは形を変えて、より深刻な形で着実に鬱積(うっせき)しているように感じる。


 あらかき・つとむ
 1946年生まれ。那覇市出身。中央大法学部卒。73年に弁護士となる。普天間基地爆音訴訟の弁護団長を務めるなど、多くの米軍基地関連訴訟に関わる。元沖縄弁護士会会長で日弁連憲法委員会委員なども務める。