県民の怒り「一つの感情でない」…琉大生、コザ騒動卒論で検証 曾祖父は米軍絡み事故死


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宮永英一さん(右)にコザ騒動の様子を聞き取る前原洸大さん=16日、沖縄市のデイゴホテル

 【沖縄】「コザ騒動」とは何だったのか―。琉球大学教育学部4年の前原洸大さん(22)=北谷町=はコザ騒動に関する卒業論文に取り組み、関係者から聞き取りをしている。前原さんの曾祖父は1977年、米軍の車にはねられて亡くなった。曾祖父の死のように復帰後も県民を巻き込む軍事基地の存在、そして沖縄住民の「怒り」の感情について明らかにしたい考えだ。コザ騒動を知る人々への取材を通して、当時の沖縄住民の複雑な感情をひもときたいとしている。

 1977年7月11日、曾祖父の仲村渠金三さん(当時65歳)が歩行中、米軍用車にはねられて即死した。公務中の事故のため、日米地位協定により第一次裁判権は米側にあった。運転手の米軍人らは日本の法律で裁かれず本国に送還された。後日、那覇防衛施設局から損害補償手続きの知らせが届いた。「紙切れ1枚か」。残された家族は怒りのやり場がなく、やりきれない思いを抱え続けた。

 北谷町で生まれた前原さんは幼少期に、母から事故について聞かされた。親が基地従業員や外国人だという同級生も多く、基地問題に揺れる沖縄の状況に葛藤することもあった。

 「県民の怒り」という言葉を報道などで聞く度、前原さんは「単なる一つの感情ではなく、複雑に絡み合っているのではないか」との思いを抱くようになった。戦後史から現在を見詰め直そうと、卒業論文のテーマにコザ騒動を選んだ。

 琉球警察の資料からベトナム戦争が激化した時期、米軍人関係者による凶悪犯罪の増加率に注目した。コザ騒動の現場にいた宮永英一さんらも取材した。聞き取りで騒動に至るまでの社会情勢を探り、当時の住民感情を考察する。

 卒業後は教員を志望している。「自分と同じように葛藤を抱える子どもが学びを深められるよう、研究を生かしたい」

 前原さんは19日、沖縄市のコザ・ミュージックタウン音楽広場で開催されるシンポジウムに登壇する予定。
 (下地美夏子)