[日曜の風・浜矩子氏]国民は誤解してない 首相の多数会食


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 「他の方との距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省しております」。菅義偉首相の言葉だ。12月14日、菅首相は自民党の二階俊博幹事長や王貞治氏、杉良太郎氏、みのもんた氏など、8人ほどでステーキ会食にふけった。

 新型コロナ対応が実に厳しい局面に入っていた。政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会が、「5人以上の飲食で感染リスクが高まる」と注意喚起していた。しかも、12月14日といえば、例の「Go To トラベル」の全国一斉一時停止が発表された当日だった。

 このような状況の中で、何やら派手な顔ぶれで銀座に集い、ステーキ会食をやる。いかなる神経か。5人と8人の区別がつかないのかもしれない。区別がつくのに、5人破りを選択したのだとしたら、あまりにも鉄面皮だ。

 しかも、冒頭の菅発言が全く解せない。「国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省しております」とは、一体どういうことか。国民は何も誤解していない。菅氏の行動に誤解の余地はない。国民にお願いしていることを自分は守っていない。守らなくていいと思っている。この不届きの極みの姿の一体どこに、誤解の余地があるのか。どんな誤解が発生し得るというのか。

 「真摯に反省しております」も実に引っ掛かる。この言い方からすると、反省には真摯な反省と真摯でない反省があるらしい。少なくとも、菅首相の認識の体系の中には、この二種類があるということなのだろう。辞書によれば、「真摯」は「まじめでひたむきなこと」の意だ。以降、菅氏が「真摯に」をつけずに「反省しています」と言ったら、それは「ふまじめに」そして「ひたむきさなく」反省しているということなのだと受け止めなければならない。

 「真摯に」をつけた時には、ここは、「ふまじめでひたむきさがない」と「誤解」されてはまずい場面だという判断が働いているわけだ。そもそも、自分の反省について「真摯だ」と自己診断することが笑止千万。自分は「真摯」だという人を真摯な人だと「誤解」するほど、われわれはバカじゃない。

(浜矩子、同志社大大学院教授)