変わらない現実、それでも…4182人の原告の訴えを聞いてきた事務局長の思い<第3次普天間爆音訴訟>


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普天間爆音訴訟団の事務局長として奔走する玉元一恵さん=11日、宜野湾市普天間の事務所

 凄惨(せいさん)な戦争の記憶をたぐり寄せる高齢者、米軍機の部品落下や墜落事故に危機感を示す子育て世代―。新型コロナウイルス感染防止のため設置したアクリル板越しに、普天間爆音訴訟団事務局長の玉元一恵さん(60)は、さまざまな人の思いを聴いてきた。コロナ禍で原告が集まるか不安もあったが、説明会や受け付け会場に足を運んだ人々は4千人超に上った。「(訴訟を)待ち望んでいると感じた」

 第3次訴訟の提起に向け、訴訟団は6月に原告募集を始めた。コロナ禍の緊急事態宣言で開始は遅れたが、人数を制限し感染対策を施した上で、説明会や書類受け付けを1日2~6回、計93日実施した。事務局の予想を超える、過去最多となる4182人の原告が集まり、来年の追加提訴でさらに増える見込みだ。

 裁判資料となる陳述書に原告の生い立ちを記すため、玉元さんは戦争体験者と当時を振り返ることもあった。「思い出したくない」「夢でよく見る」。体験者の心の傷に触れ、胸がつぶれそうになった。「戦争はまだ終わっていない」。戦後75年がたつ今も、戦争を想起させる基地と騒音に苦しめられる住民の姿を見てきた。

 4月から訴訟団の事務局長を務める玉元さんだが、原告ではない。宜野湾市真志喜に20年以上住み、上空を米軍機が飛ぶ。しかし自宅は国が定めた騒音コンター(分布図)内ではなく、損害賠償が受けられない“補償の壁”がある。コンター外の住民から訴訟へ参加したいとの希望もあったが断り、「とても心苦しい」と吐露する。

 うるま市の具志川出身で、基地があることが当たり前だった。約30年前に夫の転勤で石垣市に移り住み、ヘリや戦闘機の騒音がないことに驚き、基地がある「異常」に気付いた。1995年の米兵による少女乱暴事件は、子育て中の母として憤った。相次ぐ落下物・墜落事故や環境汚染にも怒りがこみ上げる。

 これまで「女性と子ども」の人権啓発などに取り組み、宜野湾市議だった2010年ごろから訴訟団に関わった。基地から派生するさまざまな問題が住民生活を脅かす状況は、ずっと変わっていない。それでも、人権は勝ち取っていくものだ、と前を向く。

 4千人を超える原告それぞれに守りたいもの、大事な思いがあり、「(基地被害の現状に)おかしいと異議を申し立てている」と受け止める。原告が安心して裁判ができるように、これからも一人一人の思いに耳を傾けていく。
 (金良孝矢)