県代表の花園初出場から40年 沖縄のラグビー界はどう変わった? 宮城博会長に聞く


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 1918年に始まった全国高校ラグビー大会は、ことし記念すべき100回の節目を迎える。石川高が県代表として初めて第60回大会(1980年)に出場し、花園の地を踏んでから40年のメモリアルの年でもある。県ラグビーフットボール協会の宮城博会長に、県内ラグビーの課題や展望について聞いた。 (聞き手 上江洲真梨子)

沖縄ラグビーの展望を語る、県協会の宮城博会長=4日、名護市の北農会館

 ―人材発掘や育成など課題は。

 「ジュニア育成の指導環境が県外に比べて遅れていた。育成で特に成功しているのは福岡や長崎。数十年前までは全国大会で優勝などなかったが、ジュニア育成の徹底で、選手層に厚みが増し、今では代表校は全国屈指の存在となり、多くの選手を輩出している。小中から始めることで、競技に必要な体づくりや試合勘を早い段階から体得できる。最も良い部分は、競技の魅力を知ってもらえることだ。全国区で活躍した選手が戻り、後進育成を行うなど指導者のUターンも多く、人材や技術指導の循環がうまくいっている」

 ―県内での取り組みは。

 「県協会の役員をはじめ、関係者が協力してジュニアの人材育成に懸命に取り組んでいる。小中学生を指導するスクール、中学のクラブなども増えており、沖縄のラグビー界はまだまだ良くなる余地がたくさんある。来年は、コロナ禍で実施できなかった大会や普及事業などをさらに積極的に行い、ラグビーの魅力を多くの子どもたちに広めたい」

 ―ことしの全国高校大会に期待することは。

 「ワールドカップ(W杯)の国内開催で、競技を知らなかった多くの人にラグビーを知ってもらえた。ことしの全国高校大会は、記念すべき第100回大会だ。コロナ禍で無観客だが、一戦一戦、W杯をほうふつとさせるような白熱した試合を期待している」

 ―ラグビーの魅力は。

 「試合が終われば、敵味方関係なく健闘をたたえ合うノーサイドの精神や、選手個々の強い絆などたくさんある。私は中京大で初めてラグビーに出合った。2年で右肩を負傷し、その後のプレーは思うようにいかず悔しさだけが残った。納得いく結果が残せなかったからこそ、沖縄の子どもたちにはもっと早くからラグビーに触れて、楽しさを見つけてほしいと30年以上指導に携わってきた。素晴らしい競技であることを多くの子に知ってもらいたい」