【中部】米軍普天間飛行場周辺の住民が25日に起こした第3次普天間爆音訴訟。訴訟団は「静かな日々を返せ」と書かれた横断幕を手に、原告4182人の思いを込めた訴状を那覇地裁沖縄支部へ届けた。クリスマスのこの日、米軍機は飛ばず、基地が集中する本島中部には静かな青空が広がった。原告は「ずっとこの状態が続けばいい」と飛行差し止めへの思いを新たにした。
2002年10月に提起された第1次訴訟の原告は約400人で、「うるさいと言う割には少ない」と揶揄(やゆ)されることもあったという。
しかし3次は過去最多の4千人超に上る訴訟に発展し、基地被害に苦しむ現状に異議を申し立てる声は大きくなった。
1次から訴訟団長を続ける島田善次さん(80)=市嘉数=は「諦めない気持ち」を強調し、長期化する闘いに身を引き締めた。
新型コロナウイルス感染拡大を懸念し、これまで提訴前に開かれてきた事前集会は中止となった。提訴手続き自体は数分で終わるが、原告は提訴の数時間前から沖縄支部がある沖縄市知花に集まり始めた。
集まった約30人の原告や弁護士は横断幕を掲げ、支部の敷地内に向けて行進した。
裁判所の職員が「持ち帰ってください」「畳んでください」と呼び掛ける中、原告らは「憲法21条で保障されている表現の自由だ」と主張した。
「子どもたちを守りたい」「米軍機が飛ぶと心臓が高鳴り、戦争を思い出す」―。訴訟団が提出した訴状には、4182人それぞれの願いが託されている。
提訴を見届けた原告の中には、戦争を体験した人たちの姿もあった。宜野湾市普天間に住み、日常的に上空を米軍機が飛び交うという横田チヨ子さん(92)は、太平洋戦争下のサイパンで迫撃砲や機銃掃射でけがを負い、家族を亡くした。「戦争の惨めな思いを次の世代にさせたくない。爆音をとにかく止めてほしい」とまっすぐ前を見つめた。