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「緊張感とともに世界へ」イチローさんの圧倒的存在感<沖縄発>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
written by 松元 剛

 

 

絶妙な間合いを取りながら、選び抜かれた言葉を発するイチローさん。聴衆をおおいに引き付ける「イチロー節」が全開だった=2020年11月26日、神戸市内

多大な実績を残した人を評する際、「圧倒的な存在感」という表現が使われることがある。羨望や尊敬を帯びた評価は人それぞれであり、客観性が求められる新聞記事の地の文で使うことは極力避けてきたが、今回はあえてその表現を用いたい。

11月末、神戸市で開かれた新聞大会に参加した。コロナ禍で、例年の500人規模が縮小された参加者300人が心待ちにしたのは、プロ野球と米大リーグで通算4367安打を放ったスーパースター・イチローさん(シアトルマリナーズ会長付特別顧問)の記念講演「スポーツが持つ力」だった。昨年3月の引退後、公の場で話すのはこの日が初めてで、メディアの注目を集めていた。

大会が始まる前、地元の神戸新聞の旧知の編集局幹部に、「イチローさんはオンライン出演なんでしょ」と聞くと、いたずらっぽい笑顔を浮かべ、両手の平を上に向けて分からないというポーズを取った。

ご本人が現れることはないだろうと思い込んでいたら、インタビュアーを担うフジテレビの三田友梨佳アナウンサーの紹介で、舞台わきからイチローさんが颯爽と登場し、どっと歓声が沸いた。

メディアにはめられた

1ケタ台の体脂肪率を保つ鍛え抜かれた体を黒いスーツが包み、背筋が伸びた立ち姿はオーラに満ちていた。舞台近くの空席目掛けてすっと移動し、素早くスマホを取り出して撮影する女性の参加者が何人も目に入った。

独特の長い間合いを取って、選び抜かれた言葉を繰り出す「イチロー節」が全開だった。恐らく、言葉の数は普通の人の半分に満たない。何とも言えない空気感から繰り出される言葉が、聴く者をおおいに引き付ける。

イチローさんはまずメディアとの関係から切り出した。報道に携わる参加者に講演する心境を「いや~な緊張感がある」と表現し、笑わせた。振り子打法で大ブレークした1994年のシーズン終了間際に何かの記録が途絶えた際、「担当記者から『どんな気持ちか』と聞かれ、気にしてないと本音を話したのに、『(悔しい)本音はオブラートに包んだ』と書かれ、こうしてはめられるんだなと感じた」と振り返り、会場を笑いの渦に包んだ。

現役時代は、番記者と選手の仲の良さに違和感を抱き続けたという。仲間内の関係に陥ると、選手を忖度する書きぶりになってしまい、批判を交えた記事で選手を鼓舞することができなくなるのではないか―という意に受け取れた。イチローさんは記者の記事にも厳しいという定評がある。「お互いに厳しく、高められる関係が理想だ」と語り、メディアとアスリートの関係性の本質を突いたように思えた。

楽しんでいては戦えない

意外だったのは過度なリラックスは本当のプロの実績に結び付かない―という話だった。 「緊張した方が絶対にいい仕事ができる。『意外と緊張しませんでした』と言う人がいるが、自信満々でリラックスしていることが一番怖い」と話し、「緊張感を抱えたまま、結果を出すしかない。結果が出たときの達成感は半端ないから」と実感を込めた。「緊張しないで結果を出しても、そこから抜きん出ることはない。『楽しんでできたらいい』と言う人は世界では戦えない」ときっぱり語ると、フロアに少しだけ緊張が走った気がした。

イチローさんにあこがれ、高校時代の留学先をシアトルにしたという三田アナが「実は、緊張して昨晩は一睡もしていないんです」と明かすと、「それでいいんですよ」と述べ、優しく返す気遣いも見せた。

古巣・オリックスの春季キャンプを訪れ、子供たちの「イチロー」コールを受けながら、バッティングを披露するシアトル・マリナーズのイチロー選手=2005年2月、平良市民球場

イチローさんが日本で所属したオリックス・ブルーウエーブは、阪神・淡路大震災が起きた1995年のシーズン中、「がんばろうKOBE」のワッペンをユニフォームに縫い付けて奮闘し、初優勝を飾った。被災地、被災者を励ます劇的な初Vであった。

その翌年の3月、沖縄・宮古島でのキャンプの後、連覇を狙うオリックスが沖縄本島中部の沖縄市営球場でオープン戦を初めて主催し、日本ハム戦が組まれた。中部支社報道部の記者だった私は上司の報道部長に断りなく独断で取材日程に入れた。もちろん、目当てはイチローさんだった。

バックネット裏に記者席が用意されていたが、イチローさん見たさに外野が見渡せる一塁側内野席の外野側の端に陣取った。イチローフィーバーで、球場新記録の1万3千人の観客が詰め掛けた。気が付くと、内野席よりはるかに外野席の観客が多かった。めったにないことだ。

試合前の練習からスーパースターの一挙手一投足に球場全体の視線が集まる。イチローさんはファンサービス精神旺盛なところを見せた。外野フェンス際に張り付いて視線を送る野球少年たちの前で、長い距離を投げるキャッチボールをし、お得意の背面キャッチを何度もして見せた。さらに、外野ノックを受けると、後にメジャーリーグで「レーザービーム」と呼ばれるようになる強肩を披露し、内野のベースの真上で待つ内野手のグラブに真一文字を描いて吸い込まれる送球を見せ、そのたびに球場内を大きなどよめきが包んだ。プレーのすごさもそうだが、あこがれる子どもたちとファンを大切にする姿に感心した。

真逆の行動

イチロー選手の才能を見いだし、レギュラーに抜擢した名将・仰木彬監督はオープン戦ながら、センターで先発したイチロー選手の守備位置をライト、レフトの順に変え、フル出場させた。イチローさんは5打席に立ち、1安打2打点を記録した。間近でスーパースターを見たい沖縄の観客、子どもたちの期待に応えた粋な采配であった。

1996年のシーズン当初、オリックスは出遅れたが、夏場から他球団を圧倒し、本拠地のグリーンスタジアム神戸に詰め掛けた地元ファンの前で、パ・リーグ連覇を飾った。初優勝した前年は、あと1勝すれば、優勝という局面で本拠地の試合に4連敗してしまい、優勝を決めたのは西武ライオンズの本拠地・西武球場だった。オリックスファンにとって、地元神戸での胴上げは悲願になっていた。

パ・リーグ優勝がかかった日ハム戦で、同点本塁打とサヨナラ二塁打を放って優勝を決めたのはイチローさんだった。二塁ベース近くに到達したイチローさんが我を忘れてピョンピョン跳びはね、外野席のファンに向けてガッツポーズを繰り返した姿が記憶に残る。

パ・リーグ連覇を果たした上で、セ・リーグの覇者巨人と対決した日本シリーズを4勝1敗で制し、オリックスが日本一を達成した場面も忘れ難い。九回の巨人の攻撃が終わり、ゲームセットを迎えた瞬間、守備に就いていた選手もベンチの選手もグラウンドに駆け出し、内野の真ん中で歓喜の輪をつくった。だが、イチローさんはチームメートとは真逆の行動を取った。勝利を収めると身を反転し、ライトスタンドに陣取るファンに向かって小さな雄叫びを上げ、何かをかみしめるように何度も右手でガッツポーズを突き上げた。そこから悠然とナインの輪に入っていった。阪神・淡路大震災を乗り越えて、地元球団であるオリックスの日本一を待ち焦がれたファンと喜びを分かち合うことを最優先した振る舞いに胸を揺さぶられ、思わず、「素晴らしい。格好良すぎる」と口走ったことを覚えている。

オリックスの紅白戦に出場したマリナーズのイチロー選手。世界トップレベルのプレーはもちろん、バッターボックスでの独特のポーズもファンを魅了した=2006年2月、宮古島市民球場

47歳「速く、重く」

新型コロナ禍の中、3月に帰国したイチローさんは講演の中で、現役時代よりもハードなトレーニングを続け、特に投球練習に力を入れていることを明かした。「受ける相手がみな、『球が速くなり、重くなった』と言っている」いう話に仰天した。47歳にして140キロ台後半の直球を投げるに違いない。

2月に学生野球の資格を回復していたイチローさんは「高校野球はめちゃめちゃ面白い。大リーグはどこまで飛ばせるかというコンテストになっていて、どう点を取るか、緻密さが見えない。高校野球には野球の原点がある」と語った。厳しい鍛錬を続けるのは「高校球児と一緒に体を動かすため。僕にはそれが合っている」と言い、「(グラウンドで指導する姿は)近々見られますよ」と述べ、高校野球の指導に入ると明言した。

自らを極限まで追い込み、妥協を一切許さずに心身を鍛え上げ、全てを野球のためにささげる生活を送ったイチローさん。頂点を極めたアスリートがプロの真髄とは何かを示した言魂に「圧倒的な存在感」を感じ、私は居住まいを正してメモを取り続けた。

講演から1週間後、強豪・智弁和歌山高を指導するイチローさんの勇姿が報じられた。最終日には打撃練習でお手本を示し、76スイング中19本が柵越えだった。球児の指導など、今後の「野球界への恩返し」が楽しみだ。

(本稿は、「琉球フォーラム」2020年12月号の「エディターズノート」に加筆しました)


松元 剛(まつもと・つよし) 

1965年生まれ、那覇市出身。1989年入社。社会部警察・司法担当、2度の政経部基地担当などを経て2020年6月から編集局長。基地問題がライフワーク。趣味は映画鑑賞、休日の草野球。劇場で年に映画30本を見る目標はいまだに達成できず。


沖縄発・記者コラム 取材で出会った人との忘れられない体験、記事にならなかった出来事、今だから話せる裏話やニュースの深層……。沖縄に生き、沖縄の肉声に迫る記者たちがじっくりと書くコラム。日々のニュースでは伝えきれない「時代の手触り」を発信します。