50年前、国頭村の伊部岳で住民が止めた米軍実弾演習 守った森は「世界遺産の礎に」


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伊部岳実弾演習阻止闘争の当時の状況について語る、NPO法人やんばる・地域活性サポートセンターの比嘉明男理事長=29日、那覇市内

 【国頭】1970年12月31日、国頭村安田区にある伊部岳で、米軍の実弾砲撃演習を住民らが阻止した「伊部岳実弾演習阻止闘争」から50年を迎えた。集落の住民が総出で立ち上がった命懸けの闘争は、住民生活だけでなく、世界自然遺産登録候補地の自然を守り抜いた。当時、住民の一人として闘争に参加した、NPO法人やんばる・地域活性サポートセンターの比嘉明男理事長(67)が、当時の様子を振り返った。

 1970年12月22日、米海兵隊が伊部岳で実弾砲撃演習を行うとの通告が、琉球政府を通じて国頭村の山川武夫村長(当時)に届いた。伊部岳の頂上に向かって実弾を撃ち込む計画だった。国頭村は琉球王国時代から林業の地として知られ、安田は当時、ほとんどの家庭が林業で収入を得ていた。比嘉さんは「山や自然は区民にとって生活そのもの。自然が壊されることは、生活と命が脅かされることを意味していた」と語る。

伊部岳実弾演習阻止闘争の現場で住民らを収めた写真(安田史誌『あらは』より)

 通告に危機感を抱いた同区は、村と共に演習阻止に向け行動を開始した。29日に安田で協議会が、村で対策本部が発足した。翌30日、海兵隊から31日の演習決行の通告があった。31日午前5時、村内各地から集まった住民や支援団体ら800人以上が行動を開始した。若い男性陣は着弾地点の伊部岳山頂を目指し、女性や子ども、年配者らは砲門を設置するハシマタ山に向かった。

 「あの頃は米軍の占領下で、みんな命懸け。ただならぬ緊張感だった」。当時高校3年生だった比嘉さんは、人々の様子を思い出す。「伊部岳を目指した男性陣は山の中の道なき道を登り、ほかの人も急な斜面や川を越えながら歩いた」という。「大変だったが演習を止めるために結束していた。必死だった」と振り返った。

 同日午前8時ごろ、ハシマタ山にヘリコプターで兵士や大砲が運び込まれ、住民と米軍が衝突する場面もあった。村民の抵抗が続き、午前11時15分、山川村長から演習中止が報告されると、現場で歓声が上がった。その後、住民らは撤去される大砲を静かに見入った。

 比嘉さんは「演習の阻止で命や森だけでなく、県民の水資源も守られた。半世紀が過ぎた今、世界自然遺産登録や生物保護などの取り組みにもつながっている」と、闘争の意義を語る。「先人たちが命懸けで守った大事な自然だ。闘争の歴史や人々の思いを後世に引き継いでいかなければならない」と話し、決意を新たにした。

(下地陽南乃)