【早わかり】沖縄振興計画とは 地域活性の足跡と「副作用」


この記事を書いた人 Avatar photo 嶋野 雅明

 沖縄の日本復帰から49年目となる2021年。10年ごとに期限を迎える新たな沖縄振興計画に向けた議論が本格化する中で、沖縄振興は復帰時からどう変わり、これからどこへ向かうのだろうか。

影落とす普天間との「リンク論」

 1972年の沖縄の日本復帰に伴って制定された沖縄振興(開発)計画は第1~5次にわたり、時代ごとの沖縄の状況を踏まえて策定されてきた。約50年間の施策展開で社会資本整備の本土格差は縮み、観光や情報通信産業の集積に成功した。各振計策定の時代背景や結果を紹介する。

 第1次~3次振計(72~2001年度)は「本土との格差の是正」と「自立的発展の基礎条件の整備」「平和で活力に満ち潤いのある沖縄県」を目標に掲げた。「高率補助」制度を活用した道路やダム、港湾開発などインフラ整備が重点的に進められた。振計開始時は高度経済成長を前提として製造業の誘致を思い描いていたが、71年のニクソンショックや73年の第1次オイルショックを契機として日本経済を支えてきた輸出製造業は転換期を迎えた。3次振計終了時には展望値は「人口」の項目以外は達成できなかった。

 2002年度には社会資本整備の印象が強い「開発」の文言を抜いた沖縄振興特別措置法が制定された。これに伴い、第4次振計からは「本土との格差是正」の目標が削除された。同振計では産業育成に本腰を入れるべく、観光や情報産業などの振興のため特区制度などが設けられた。

 09年に地域主権を掲げる民主党が政権交代を果たしたこともあり、現行の第5次振計の策定主体は国から県へ変わった。県が10年に策定した長期構想「沖縄21世紀ビジョン」を基にした現振計は12年度から始まり、自由度の高い「一括交付金」制度が創設された。併せて県が要望していた米軍基地の跡地利用を円滑に進める「跡地利用推進法」も制定された。いずれも21年度末で期限が切れる。

 一方で政府は、1997年度から始まった「島田懇談会事業」以来、事実上の「基地負担と振興策のリンク」政策を推し進めた。時の県政が普天間問題の政府方針に協力するか否かで沖縄関係予算を増減させるなどをしてきた。沖縄振興の当初の理念からはかけ離れた手法で、県民の分断を生んでいる側面もある。

 日本復帰から50年の節目を控え、当初目標であった基地経済からの脱却は果たしつつある。一方で強固な産業がないままの集中的な社会資本への投資は、国からの財政移転に依存する体質を形成した副作用もあった。また依然として県民1人当たりの所得は全国最下位で、積年の夢である自立型経済の実現は道半ばだ。
 

米国支配・離島の事情に配慮

 沖縄の日本復帰後50年近くにわたる政府による沖縄振興策。戦後27年間、米国に支配されたことや離島の点在、米軍基地の集中など沖縄の特殊事情に照らし、各種施策が展開されている。

 法的根拠は1972年の日本復帰に伴う激変緩和措置を規定した「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」と、「沖縄三法」と呼ばれた「沖縄振興開発特別措置法」(現沖縄振興特別措置法=沖振法)、「沖縄開発庁法」、「沖縄振興開発金融公庫法」だ。同法などで規定され、2021年度で期限が切れる主な沖縄振興策が今後も継続されるか否か、注目される。

 これらの法に基づき、他県にはない「高率補助」制度や沖縄総合事務局が一括して各省庁への予算折衝をする「一括計上方式」、一括交付金制度、特区制度などが設けられている。

 5次にわたる沖縄振興策で社会資本整備は一定程度進んだ。だが米軍基地の過重負担などの特殊事情は今も重くのしかかる。一方、日本の中では辺境にある沖縄の地理は物流コストが高くなる特殊事情の一つだったが、近年はアジアから日本に流れる際の「玄関口」として捉えられており、長年の課題が振興発展へ向けた好材料に位置付けられている。県は沖縄の発展可能性が高まり「日本経済再生に寄与する」として新振計の必要性を訴えている。

 政府はまだ沖振法の延長や次期振計の策定を正式に示していない。だが菅義偉首相は昨年10月、県内であった島尻安伊子元沖縄担当相の政治資金パーティーに映像出演し、「沖縄の皆さんが安心して生活できるような方向に作っていきたい」と次期振計の延長に初言及した。

 振計の延長は「既定路線」との見方もある。だが沖縄側が望む方向の振興策となるかは不透明だ。今年から沖縄振興の方向性へ向けた政府と県の綱引きが本格化するとみられる。