<美と宝の島を愛し>今も続く国のパワハラ 根強い沖縄への差別意識


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 灰色の雲が西から東へと流れていく。近代が西から来たように。厚い雲の間から時折、青い空が力なく覗く。今の日本のようだ。

 80年前、太平洋戦争開戦時の日本の人口は7100万人余り、昭和天皇と男子皇族、陸軍幹部、上級官僚、政治家、厚い雲のように日本を覆っていた彼ら統治者たちの数は、この人口に比べたら針の先、一握りの微々たるものだ。だがそのわずかな数の針の先に座る昭和天皇の古代的神権を、多くの国民がやすやすと信じ、あるいは信じたふりをして、敗戦に至るあの戦争を受け入れた。天皇は神です、今どきそれを言ったら、若い人たちはマジかよ!とのけぞるだろう。マジでした。メディアを含めあの時代の同調圧力はハンパなかった。

 古代の伝説的天皇神権を蘇(よみがえ)らせ、西欧大国と肩を並べようとした明治政府だが、その行き着いた果てが先の敗戦だ。金属の強制的供出、日銀の金準備不足を穴埋めするため国民からの金の強制買い上げ、憲兵や隣組の監視、兵役法による17歳以上45歳までの徴兵、さらに愛国心の強要など、これらは国民を守るどころか非常時に名を借りた国民へのパワハラだ。日本人は戦争被害者意識ばかりで、加害者意識が薄いと言われる。国家の都合で家族も命も財産も強制的に召し上げられた、と国民は受け止め歯を食いしばって耐えた。加害者意識を持つべき一握りの権力者が明確な戦争責任を負わず、戦後の平和に身を溶け込ませていったことを思えば、どうして普通の国民を非難できるだろう。

 現今の日本社会は、地位、権力を持つ優位の者がそれを利用して下にいる者に精神的、身体的苦痛を与えることを禁じている。企業にはパワハラを防止する義務があり、法律も出来ている。日本もようやく成熟した社会になった。だが、今もなお国家からのパワハラが公然と行われている場所がある。それは沖縄だ。

 沖縄県民が命がけで―たとえば、忘れもしない、元山仁士郎さんがハンガーストライキをドクターストップがかかるまで行った姿を―辺野古新基地建設は止めてくれと県民挙げて合法的に請願しても、日本政府は黙殺し続けている。その請願を支援する国内世論もまた黙殺されている。黙殺はパワハラの行為の一つだ。辺野古埋め立てに使う土砂を、沖縄戦激戦地の糸満市、八重瀬町から集めるという、異様な工事が行われようとしているが、これは人として越えてはならない一線を越えている。その土砂には沖縄戦で亡くなった多くの人々の遺骨と魂が今も眠っており、作業を行う人は心を痛め、泣きながら重機を動かすだろう。

 米軍新基地をあえてその土砂で埋め立てようというのは、日本から米軍への恨みを込めたメッセージなのか。あなた方米軍は、沖縄戦死者の遺骨を平然と踏みつけ、今また軍機を飛ばし、戦争に出て行くのですか。いや、そうではないだろう。甘えと追従の対米日本外交に、そんな暗喩を潜り込ませる度胸はない。沖縄県民に日本人の尊厳を認めない、日本政府、とりわけ外務省の根っこにある沖縄への差別意識がこのパワハラを平然と行わせるのだ。行政改革の一丁目一番地は、外務省の解体と新生だ。外交が内政に深くつながる政治の柱でありながら、外務公務員法と制度で、特別扱いの秘蔵っ子然とお高くとまっているように見える。これも国家公務員法にまとめ、さらに米国に学んで外務省を国務省とし、財務、総務、国務の三本柱の重要省庁として、他省庁並みに世間の風に揉(も)まれてもらいたい。進化論的には、スペシャリストよりジェネラリストの方が生き残る、とジャレド・ダイアモンドは言っている。厳しい時代を迎え、日本も大きく変わらないと生き残れない。
 

(本紙客員コラムニスト 菅原文子、辺野古基金共同代表、俳優の故菅原文太さんの妻)