<検証 豚熱1年>①「発生源」矢面に立たされた農家 責任「一生抱える」閉じこもった日々、再起への一歩


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written by 石井恵理菜

 2020年1月6日朝、豚を出荷しようと豚舎を訪れた農家の男性(60)=うるま市=は目を疑った。豚舎のあちこちで豚が死んでいた。県の家畜保健衛生所に連絡し、夕方には「豚熱(CSF)」の疑いがあると連絡を受けた。県内で豚熱の感染が確認されるのは1986年以来、34年ぶりだった。 

最初の発生農家の男性。知人からもらった応援メッセージが書かれた色紙を見て、「励みになる」とつぶやく=2020年12月22日、うるま市

 8日には関連農場を含めて飼育している豚1127頭の全てが殺処分された。

 「毛が逆立つくらいの静けさだった」―。男性は、豚がいなくなった豚舎の様子を振り返る。携帯電話の着信音も聞こえないほど、豚舎には豚の鳴き声が響いていた。空っぽになった豚舎の中で、「ごめんね」と手を合わせた。

 男性の養豚場で発生した後も豚熱は近隣農場で相次いで確認され、発生事例は3月までにうるま市と沖縄市で計7例となった。

 男性が豚の異変に気付いたのは豚の大量死が出るより前の、19年11月下旬だった。餌を食べずにぐったりとしていた。抗生剤で治療をしたが回復の兆しはなく、同年12月20日ごろから死ぬ豚が出た。年末年始は家畜保健衛生所が休みだと思い、通報を控えた。

 男性の対応には批判が集まった。当時の江藤拓農相が「報告が遅れたのは大変遺憾だ」と会見で発言した。感染経路を追っていた国の疫学調査チームも、男性が食品残さ(残飯)を未加熱で豚に与えたことが、感染要因の可能性があると発表。男性は「発生源」として矢面に立たされた。

 「被害を受けたよその農家を考えると、『じゃないよ』とは言えない。合わせる顔もない。一生(責任を)抱えて生きていかなければいけない」

 男性は続発を自分の罪と感じ、2カ月家に閉じこもった。このまま廃業も考えたが、多くの知人の励ましの声に勇気づけられた。再建して「恩返しをしたい」という気持ちが湧いた。 

最初に豚熱が発生した男性の農場。防護服を着た作業員らが殺処分された豚を運んだ=2020年1月8日、うるま市(小型無人機で撮影)

「僕には豚しかない」思い胸に再建

 最初に「豚熱(CSF)」が発生した、うるま市の養豚農家の男性(60)には、父から継いだ養豚業を絶やしたくないという思いもあった。1948年、戦後の食糧難に陥った沖縄を救おうと、ハワイに移民した県系人が550頭の豚を購入し、沖縄に贈った。各地に豚が配られ、男性の父親も1頭を譲り受けた。

 豚は生活の中心だった。小さい頃は遊びに出ても母親に豚舎に連れ戻され、豚の世話を手伝った。豚を見ただけで体調が分かるなど、子どもながらに豚の“目利き”ができるようになった。

 だが、男性が農場を継いだ頃には飼料代が高くなり、経営が厳しくなった。残飯を餌にして費用を削減し、増頭を重ねて利益を生むようにした。父親から養豚業を引き継いだ時に比べ、飼育頭数は約4倍の1200頭になった。規模の拡大に伴って、豚舎の衛生管理は追い付かなくなった。

 そして豚熱の発生によって、仕事を突然失った。それまで毎日豚の世話に追われ、ゆっくり遠出もできないほど忙しかった。飼育していた豚を殺処分された後は、何も考えられないまま毎日をぼんやりと過ごした。周囲の励ましに支えられ、発生から2~3カ月後、ようやく豚舎の片付けを始め、昨年10月になって新しく豚を買い入れた。

 だが、豚の販売ができるようになるのは早くて今年の秋ごろだ。男性は「再建ってすぐ商売ができそうな感じがするさー。でもそうじゃないんだよ」と肩をすくめる。

 再建にあたり、飼育規模を半数以下に縮小した。法律で定められた農場の衛生管理を守るには、これまでの頭数では掃除や世話が追い付かないという判断からだ。従業員を1人解雇し、二つあった農場も一つを手放すこととなった。餌は残飯から飼料に替えた。

 経営を再開する際には、近隣住民から「こんな場所で再開させるのか」という苦情も市役所に寄せられたという。周辺に悪臭を出さないように、農場の修繕にも取り組んだ。母豚に子豚を産ませ、出荷まで肥育するこれまでの「一貫経営」では、肥育の過程でふん尿が多く出る。産まれた子豚を農家に販売する「繁殖経営」に移行した。

 男性にとって養豚は、県民の食を支えていると感じることができる職業だ。「周りに豚肉を食べさせたい」という一心で豚を育ててきた。暗転した豚熱の発生から1年。経営の再開にめどが付いたことに胸をなで下ろす一方で、最初の発生農家としての複雑な思いを今も抱えている。「豚を飼う資格がないと思われても仕方ない。でも、僕には豚しかない」
 

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 2020年1月に、沖縄本島の養豚場で豚やイノシシの伝染病「豚熱(CSF)」の感染が確認されてから、1年がたつ。経営再建へ向かう養豚農家の1年を追い、ウイルス封じ込めを図った当時の防疫措置を検証する。