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夢は本場・ヨーロッパでの活躍 シマノレーシング新加入・重満丈<ブレークスルー>


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強豪・シマノレーシングでプロロードレーサーとしての一歩を踏み出す、鹿屋体育大の重満丈=2020年12月28日、うるま市石川

 自転車のロードレースを舞台に戦ってきた、重満丈(22)=北中城高―鹿屋体育大4年=がことし、プロチームの国内強豪・シマノレーシングに新加入した。大学2年からエースを任され、昨年の全日本学生個人ロードレース大会では、学生で自身最高の3位という成績で有終の美を飾り、プロでの活躍にも期待が掛かる。1年目のことしは、小学生の時から参加する「ツール・ド・おきなわ」で「観客の期待に応える走りをして優勝したい」とペダルをこぎ続ける。

■コロナ禍の中で

 卒業後の進路を本格的に考え始める大学4年のシーズン。例年なら2月からシーズンに突入するが、2020年はコロナ禍で大会は軒並み中止になっていった。卒業後も競技を続けたい思いはもちろんあったが「大学最後の1年間の結果を見てプロ入りを考えたい気持ちもあった」。日々の成果さえ発揮できず、自粛期間中は引退も考えた。

 全国での緊急事態宣言明けの5月。練習も徐々に再開され、中止が発表されていなかった9月の全日本学生個人ロードレース大会に焦点を絞った。「やっぱり(競技を)続けたくて、大会があることを信じがむしゃらに練習した」。8月に開催が決まり、この大会に自らの将来を懸け汗を流した。

 約10カ月ぶりのレースは「忘れていた走る楽しさを取り戻せて、ロードが好きなんだと実感できた」。コロナ対策で距離が短くなったこともあり、注力してきた苦手なスプリントがゴール手前で大いに発揮された。ラスト2キロにある心臓破りの坂で仕掛けたアタックが失敗に終わると、スプリント勝負に切り替える。小学生から大人に混じりレースをこなしてきた分「勝負どころを見極める力、展開力を読む力は誰にも負けない」と自負がある。約15人いた逃げ集団の中ですっと空いたスペースに体を入れ込み、3位入賞。このレースがプロへの道を切り開いた。プロのスカウト陣へアピールも果たし「ここで結果が出ていなかったら、プロ入りもなかった」と夢を手にした瞬間だった。

■地元でみせる成果

重満 丈

 忘れられない1戦がある。17年の大学1年の時に出場した「ツール・ド・おきなわ」だ。その年は、アシストとしてチーム優勝のために必死でペダルをこぎ続けた。ただ、1年目は自身の力不足や技術力不足から「レベルの高さを思い知り、何の仕事もできずくじけそうだった」。高校では「ただひたすらに個人で走っていただけだった」競技から、大学では「レース展開を読み組み立てるチーム」競技へと変化し、思うような結果を残せず心が折れそうになったという。

 そんな中、迎えたシーズン最終戦。鹿屋からは選抜5人が同大会に出場でき、重満も唯一の1年として起用された。地元開催ということもあり万全の状態で挑み、プロも参加するチャンピオンロードレース(210キロ)でスタート直後から150キロまで逃げ集団に食らい付く走りで、チームメートや指揮官の喝采を浴びた。「何の仕事もできなかった1年の最終戦で、良い走りができ褒められたのが猛烈にうれしかった」。地元で出したその成果がきっかけで、18年の同大会からチームのエースを背負い勝利をけん引してきた。

■プロ入りも通過点

 プロ1年目はアシストとしての働きが予想される。全国大会が年間10戦の学生時と比べ、プロともなれば1シーズン(3~11月)で20戦前後が予定されており「シーズン中は体の疲労を取ることが重要。オフからシーズンで戦える体の基礎をつくりあげないと戦えない」。3月までのオフの間にも日々200キロを走り込み、シーズンを戦い抜く体の基礎強化に余念がない。ゆくゆくは、高校時代から憧れた本場・欧州での活躍を夢に「印象に残る走りでがんがん見せ場をつくり結果を残したい。そうすれば世界へのチャンスも開ける」。重満にとって、プロ入りもまだまだ通過点。目標実現に向け前へ、前へとひたすらに突き進む。

(上江洲真梨子)