「人生は変えられる」葛藤、挑戦、感謝を語る リオ・パラ出場・秦さん 糸満・三和中で講演


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「その気になれば自分の人生を大きく変えることができる」と語る秦由加子さん=12月21日、糸満市立三和中学校

 【糸満】「いつだって人生は変えられる」―。義足で2016年にパラトライアスロンでリオパラリンピックに出場した千葉県出身の秦由加子さん(39)が12月21日、糸満市立三和中学校で講演会を開いた。講演会には同校1年生の生徒ら62人が集まり、パラアスリートとして輝く道のりや、障がい者として誇らしく生きる姿を聞き入った。

 3歳から水泳をしていた秦さん。13歳の時、右足に骨肉腫を発症した。主治医からは腫瘍の部分だけを切除して足を残す方法と、右足の大腿部から下を切断する方法の二つの説明を受けた。ただ、足を残す場合は転移のリスクがあると言われた。秦さんの両親は迷わず右足を切断することを決断したという。

 両親は泣き崩れながら「命が一番大事だ」と伝えた。「両親が切断することを決断し、伝えてくれたことで私は今こうして生きていられると思う。感謝している」と力強く語った。

 右足を切除後、義足での生活を送るが、当初は障がい者であることを受け止められずにいた。「学生時代はずっと義足を隠しながら生活してきた。『なぜ自分がこのような目に遭わなくてはならないのか。自分は何か悪いことをしたのだろうか』とずっと自分を責めていた」

 転機は26歳の時だった。このまま自分の姿を隠しながら生きていくのは嫌だと思い、幼い頃にしていた水泳に再び挑戦する。「いざ水泳を始めたらとても楽しく、毎日練習に励んだ」と振り返る。

 2008年、北京パラリンピックをテレビで見て感動し、「自分も出場したい」と思うようになる。水泳の日本代表強化選手に入り、12年のロンドンパラリンピックを目指したが、出場はかなわず、パラトライアスロンに転向する。パラトライアスロンは水泳のスイム750メートル、バイク20キロ、ランが5キロを連続で行い、タイムを競う。

 米国代表のパラトライアスロン選手のサラ・レイナートセンさんがきっかけだった。堂々と義足で人前に立つ姿に感動し「自分もトライアスリートとして活躍したい思った」

 16年にリオパラリンピックに出場し、6位に入賞した。秦さんは生徒に「自分はどう生きたいかで人生は大きく変わる。私も一歩を踏み出すまでには13年かかった。その気になれば自分の人生を大きく変えることができる」と強調した。

 講演では競技用の義足を使って実際に走る姿を見せたほか、骨肉腫についても伝えた。秦さんは「骨肉腫は若年層に多いがん。私はねんざするくらいの小さな痛みだった。皆さんも自分の体に違和感を感じたら周囲の大人に相談してほしい」と語った。

 話を聞いた大城高帆さん(13)は目を輝かせながら「困難に立ち向かいながら強く生きる秦さんの姿に感動した。自分も諦めずに前を向きたい」と語った。 (金城実倫)