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CSR(Corporate Social Responsibility)すなわち企業の社会的責任が問われるようになって久しい。
企業については、「儲けてなんぼ」などと言われる。企業たるもの、収益を上げることだけに専念していればよいのであって、余計なことを考える必要はない。そう確信して、揺るぎない論者たちも存在する。だが、いまや総じて言えば、企業といえども社会の一員であり、そのことに伴う責任は果たすべきだという考え方が主流を占める状況になっていると言っていいだろう。
2019年の夏には、アメリカ主力企業の集まりである「ビジネス・ラウンドテーブル」が、これからの自分たちは株主に対する収益責任ばかりではなく、従業員や地域共同体をはじめ、幅広く社会全体に貢献することを重視した経営を展開する、と宣言した。これがどこまで本音であるのかは分からない。リップサービスかもしれない。だが、そうだとしても、このようなリップサービスをビッグビジネスの経営者たちが打ち出さざるを得なくなっているところに、企業と社会の関係に関する今日的状況が滲(にじ)み出ている。
これはこれで結構なことだ。それだけに、今、筆者が気になるのはCSRもさりながら、PSRである。PSRは、Political Social Responsibilityの頭文字だ。政治の社会的責任である。これは筆者の勝手な造語だ。だが、CSRが問われるなら、PSRも問われて然(しか)るべきだと思う。というよりは、PSRこそ、問われるのが当然だろう。
企業は、確かに収益を上げることがその第一義的責務だ。だが、だからと言って、不正行為に及んだり、社会的義務の履行を怠ったりすることは許されない。これがCSRの考え方の原点だ。だが、政治の位置づけはかなり違う。政治は、その社会的責任に忠実であることが全てだ。社会的責任を履行することこそ、政治の社会的責任なのである。それ以外に、政治がなすべきことはない。
ところが、このことを理解していない政治が内外で蔓延(まんえん)している。暴挙を扇動するアメリカ大統領。いい加減な対応で、コロナの第三波を作り出したも同然な日本の総理大臣。彼らにその社会的責任をどう取らせるか。それを考えなければならない。
(浜矩子、同志社大・大学院教授)