100年後も価値ある雑誌を 「モモト」編集長・いのうえちずさんが沖縄に来て決めた覚悟 「時代の空気」を常に意識 戦争体験の継承にも 藤井誠二の沖縄ひと物語(23)


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ずらりと並ぶ雑誌「モモト」と久米島紬の着物を着こなす、いのうえちずさん=2020年11月30日、糸満市の東洋企画印刷(ジャン松元撮影)

 『モモト』という季刊誌を愛読している。特集の深みや組み立てにいつも刮目(かつもく)させられて、写真の美しさに目を奪われる。編集者のセンスと問題意識、沖縄への愛情が感じられた。

 空手を取り上げたり、三線など沖縄の伝統芸術の職人を掘り下げたりする。どこかの町を魚眼レンズで通したように見渡すこともある。沖縄と台湾の関係性や歴史を振り返るときもあれば、沖縄戦の証言を重厚に集める号もある。若者たちを積極的に前面に押し出して、政治の最前線に切り込んだときもあった。

 文化、伝統、歴史、自然を幅広く扱うことをウリにしているが、いのうえさんは「その時代の空気を感じられる」ことをいつも念頭に置いているというが、唯一無二の存在だとぼくは思っている。

覚悟と熱意

 「『モモト』が10年続けられたのは、ひとえに東洋企画印刷の社長が覚悟を決めて、『モモト』に関しては利潤第一で考えなかったということが大きいです」といのうえさんは、まず感謝の言葉を口にした。編集するだけでなく、発行していく側の覚悟と熱意がないと年に4回という「紙」の媒体は続けられない。

 「創刊の時から言っているのは、100年経(た)っても置いておける価値のある雑誌をつくろうということ。創刊号をつくる時、沖縄のことを多少は知っているつもりでいましたが、いざ掘り下げようとすると何も知らないことに気づかされたんです。ある時、図書館に行って、ハッと気づいたのは、保存する価値があれば100年後に誰かが読むかもしれないということ。100年後に残す価値があるものをつくっていこうと誓いました」

 タイムカプセルみたいですね、と水を向けると、彼女は深く首肯(しゅこう)した。

 「『モモト』を始める前に、古民家に興味があって木造建築の大工さんに取材をしたとき、伝統建築を修復するために天井裏とかを見る、150年前の職人の仕事に遭遇すると聞きました。柱と梁(はり)を見て、“こんな組み方をしたのか”と、名前も残っていない150年前ぐらいの職人と対面しているような感覚だというんですね。自分の仕事も何十年後か100年後かの職人が見るかもしれないと思うと、身が引き締まる思いって。びっくりしますよね。私の仕事は畑が違うけど、同じ職人としてその感覚には憧れます。私もそんな仕事をしたいと強く思ったんです」

地域の視点

デスクで編集作業中のいのうえちずさん=2020年11月30日、糸満市の東洋企画印刷(ジャン松元撮影)

 公称は1万部。8割が県内で売れる。読者の年齢層は幅広い。2009年に4人で創刊したが、1人は石垣島出身で、あと3人は県外からの移住組だった。当初は「これ、ナイチャーの雑誌でしょ」と言われたこともあり、かすかに棘(とげ)が刺さった気がした。

 いのうえさんは、元白梅学徒隊―県立第二高等女学校の4年生で編成された看護学徒隊―の中山きくさんらの戦争体験を継承するためにつくられた「若梅会」の代表を、2019年から、中山さんに要請されるかたちで務めている。いのうえさんは中山さんを敬愛してきたし、中山さんもいのうえさんの沖縄に対する熱意に惚(ほ)れた格好だ。

 「最初は沖縄の人が表に立つべきだと思ったけれど、『モモト』連載陣の一人でもある宮沢和史さんの“後の世代につなぐ役割だと思えばいいのでは?”という言葉に背中を押された面もあります。そうか、中継ぎ投手ができたらいいかなと思った」

 2001年にテニアン島を訪れたことが、沖縄に来るきっかけになった。今も残る日本軍の戦車や大砲、日本人が暮らしていた廃虚などを見て衝撃を受けたと語る。調べてみると戦前、旧南洋群島では多くの沖縄出身者が暮らしていた。地上戦を生き抜き、戦後に沖縄へ引き揚げた人たちへの取材を通して、沖縄の近現代史から琉球史へと興味が広がった。東京から沖縄に通っていたが、2009年の『モモト』の創刊を機に沖縄へと引っ越した。

“中継ぎ投手”

 最新号(Vol.45)は「首里」特集。「首里城」焼失と「沖縄のアイデンティティ」を多角的に検証、首里城の歴史もわかりやすく、かつ丁寧にまとめている。整備が検討されることになっている第32軍首里司令部壕について、32軍司令官だった牛島満を祖父に持つ牛島貞満さんが解説している記事もある。

 「2010年に1回目の首里特集を組んだご縁で首里に引っ越してきて、NPO法人首里まちづくり研究会に入りました。今は副理事長になっちゃいましたが、首里城火災直後、歴史の専門家や有名人が登壇するシンポジウムや行政の動きを見て、地域の視点が抜けている以上、このままでは火災前と全く同じ首里城が戻ってきてしまうと危機感を覚えました」

 「火災前、首里城周辺はオーバーツーリズムによる交通渋滞などの問題を抱えていて、地域と行政の話し合いが始まったところだったんです。これは腹をきめてやらんといけないと思って、首里城周辺のまちづくり団体による協議会を立ち上げたり、2度のシンポジウムと4度のワークショップを通して地域住民から行政への提言をまとめてたりしています」

 ただ「復興」させる以上の価値を持たせたい。

 「これまで首里城は観光拠点という一面だけが強調されていましたが、地域からの声をあげることで、県も市も向き合ってくれると実感しました。正殿の再建は国がやりますが、首里城公園の利活用を見直すだけでも、県民が“私たちのウグシク”だと思える、地元に愛される首里城になると思う。ただ、首里まちづくり研究会は働き盛りの世代が多くて、首里城関係の活動を軌道に乗せるこの1年は本当に大変でした。首里城の再建も復興も息の長いプロジェクトですから、50年後の首里を思い描いてぼちぼちがんばりますよ」。そう笑った。

 いのうえさんの「沖縄」と向き合う本気度を知るには『モモト』を開くのがいちばんいい。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

いのうえ・ちず

 雑誌『モモト』編集長、東洋企画印刷執行役員。広島県生まれ。國學院大学を卒業後、コピーライター事務所を経てフリーランスに。以後、東京で20年近くフリーライターとして、ブライダル情報誌、旅行情報誌、医療看護関係など幅広いジャンルの仕事を手がける。2009年、雑誌『モモト』の創刊のため、本拠地を沖縄へ移す。2020年度、首里城復興基本計画に関する有識者懇談会「新・首里杜構想検討部会」委員。
 

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。