英語試験の質に疑問「使える英語」勘違い? メールやウェブ題材多過ぎ<言わせて大学入試改革>


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木村 達哉

 文部科学省が大きく掲げた教育改革が瓦解(がかい)し、どうなることかと心配されたが、先週末に第1回の共通テストが行われた。僕自身、高3学年主任を務めているので、感染する生徒が出ないか、体調を崩す生徒がいないか、そもそも受験環境はどうなのかと気をもんだが、無事にほぼ全員が受験を済ませることができた。

 英語外部試験が導入されるとともに(これは後に瓦解することになったが)、英語の問題が大きく変わると、試行調査(2018年実施)のときから分かっていたので、過去問がないから大変だという声もあったが、英語力をしっかりと身につけることができれば出題傾向の変化などは、全員が同じ条件なのだから、さまつな問題である。むしろ過去問をやり過ぎると頭が固定化されるので、直前に共通テスト問題集などを1冊与えるだけにしておいた。どんな変化球にも対応できる力を付けることが「対策」なのであって、過去問をやり過ぎる弊害は計り知れない。

 結果的に実際の問題は、各社のマーク模試や問題集と形式的にはほとんど違わないものであり、生徒たちも落ち着いて対処できたようである。

 本校の英語の平均点は例年どおりに9割強であった。分量は試行調査より少し多かったものの、前半の文章はどれもかなり短く、語彙(ごい)レベルはセンター試験より易化していて、拙著『ユメタン(1)』の基本の千語を徹底していた生徒たちにはそれほど難しいものではなかった。生徒たちの声も「簡単でした」が大多数であった。

 ただ、試験そのもののクオリティーについて、文科省や大学入試センターはどうお考えなのだろう。

 大問1からメールやウェブサイトの読み取りなどの題材が続き、それが第5問まで続く。これでは生徒たちの読む力を測ることなどできない。メールだのウェブサイトだのオンラインだのの情報を与えて情報を読み取る問題が多過ぎる。これが「使える英語」や「実践的英語」だと勘違いされるのであれば、批判せざるを得ない。

 生徒たちはメールを読みにアカデミアの世界に行くわけではないのだ。また、学校教育はそういった軽いコンテンツに答えるためのものではない。メールもあっていい。ウェブサイトの読み取りもあっていい。軽いサービス問題としては。しかし、読む力を測る試験にするなら、かっちりした小説や評論を出題すべきであり、それをもとにして思考させる問題を作成すべきである。情報検索能力だけを求める今回の作問クオリティーは、残念だけれどもあまり高くないと言わざるを得ない。みんなが「共通テストになってよかった」と思える作問をお願いしたい。
 (灘高校・中学校英語科教諭)