県勢が伸び悩んできた陸上競技の長距離に変化の兆しが表れている。全国高校駅伝男子で県勢が23年ぶりに30位台に入り、中学男子の1500メートルで12年ぶりに県記録が更新された。箱根駅伝を経験し、実業団で活躍した濱崎達規(32)は「躍進の火が燃え上がってきている」とジュニア世代の育成に粉骨砕身する。たぎらせる思いの原点にあるのは、常に沖縄の誇りを背負ってゴールを目指したトップレースでの経験がある。
■沖縄を胸に走る
沖縄工3年時に都道府県駅伝で県代表メンバーとして出場し、過去最高の35位の記録に貢献した。名門・亜細亜大では3年から2年連続で箱根を走った。実業団の小森コーポレーションで2011年から6年連続で元旦の全日本実業団対抗駅伝に出場。「小森の特攻隊長」として4年間1区、2年間はエース区間の4区を任された。
長年、沖縄勢は駅伝で下位に沈むことが多かった。濱崎が全国大会で上位に食らいついている時、「沖縄がここにいる」と驚かれることが何度もあった。その“常態”を覆そうと全国で戦ってきた。25歳からマラソンにも挑戦し、17年12月の読売防府マラソンは2時間11分26秒の2位で県記録を更新。沖縄の長距離を強くしたいという思いは、県外実業団でしのぎを削る中でも忘れたことはなかった。
■意識を全国に
拠点を沖縄に移した17年から南城市役所に勤める傍ら、地元の子どもたちへの指導に関わるようになった。人数が増えて18年に大学時代の先輩の仲里彰悟らと共になんじぃACを設立。「足が動かなくなるまで小森で走るつもりだったのに帰ってきた。やるからには沖縄の現状を変えたい」と後進の育成に力を注ぎ始めた。
「アスリートなのか、部活なのか。アスリートとして家に帰ったらやることは変わってくる」と教え子には生活の心構えから問い掛ける。学費免除で大学入学を決めたなんじぃACの先輩を引き合いに出し「自分の人生を変えるつもりで走れ」と将来につながることも説いている。
あいさつなど規律に関して叱ることはない。ただ「シビアな世界の感覚と楽しさを知ってほしい」と走りでは妥協させない。「沖縄のレベルで満足してほしくない。メンタリティを根本から変えたい」と全国で戦う意識を植え付けている。
■変化の兆し
昨年11月に沖縄陸上競技協会が長距離強化のために新たにナイターの記録会を設けた。そこで北山の選手が次々と好記録を出し、12月の全国高校駅伝で躍進を見せた。メンバー7人中3人はなんじぃACで育った。
濱崎自身、昨年から力を入れた1500メートルで38年ぶりに30代の県記録を更新。別の大会で一緒に走った知念中3年の親川聖來(なんじぃAC)も1500メートルで記録を伸ばし、結果として教え子の県中学新樹立につながった。さまざまな努力が結びいている実感がある。「やってきたことに無駄なことなんて何一つなかった」
まだまだ人材を発掘できていない地域もある。目標だった東京五輪の選考にたどり着けず、約2年前に第一線を退いたが「優秀な人材を育てて各高校に送り届ける。これほど大義なことはない」と新たな使命感に燃える。
国内の著名大会では県内で出場資格があるのは濱崎のみという大会も多い。競技者として指導者として沖縄の長距離界をこれからも引っ張っていく。
(古川峻)