アメリカの「偉大」とは トランプ氏が残した言葉<アメリカのつくられ方、そして今>


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 トランプ前大統領がスローガンに掲げた「Make America Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国に)」。トランプはこの四つの単語を何度も叫び、ツイートした。この「Again」「再び」と言うのは、現在の米国は偉大ではないが、以前は偉大であったということになる。では、米国のいつの時代が偉大な国だったのか。

 英国から新天地を求めて北米にやって来た人たちは先住民の土地を奪い、西へ追いやった。虐殺で多くの命を奪い、全てを白人のものにした。建国後もメキシコ領土だったカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ワイオミング、コロラドの土地を、戦争で奪い拡大した。

 当時の指導者らは、それは「明白な運命」、つまり「白人の自分らがアメリカ全土を支配するよう神によって選ばれた」と主張し、民主主義の栄光ある拡張だとして、議会でも正当化した。そんな覇権主義で人のものを奪い尽くし、大国となったアメリカは偉大な国なのか。

 1950年代は朝鮮戦争、65年にはドミニカ戦争、そして10年間にわたって繰り広げられたベトナム戦争。80年代になると米軍はレバノン、カリブ海の島国グレナダ、リビアへの爆撃に続き、その他にも米政府が裏で関わった戦争は枚挙にいとまがない。記憶に新しいのは湾岸戦争に、アフガニスタン攻撃に続くイラク戦争。アメリカは戦争中毒国家と言われた。

 戦争支持者らには政治家、企業の経営者、軍人、銀行家がいる。「民主主義、自由、正義、平和」のためとの大義名分をかざすが、実際は「お金、市場、天然資源、権力」のためにすぎなかった。若者の命を犠牲にし、他国の市民を巻き添えにした戦争によって、軍産複合体を肥えさせた米国は偉大な国だったのか。

 60年代に「わんぱくデニス」や「奥様は魔女」などのホームドラマがテレビで放映された。庭がある大きな家のダイニングで、母親がローストチキンのディナーを作り、紳士然とした父親と子供たちが食事をする一家だんらんの光景は、子供心にもアメリカの豊かさがうらやましく憧れた。だが当時は、黒人や有色人種への差別が社会の隅々にまで浸透し、黒人らの命が奪われた時代だった。人種差別や隔離など非人道的なことが、公然とまかり通っていたアメリカを偉大と言えるのか。

 偉大な国家を「国民主権、平等、自由が生かされ、戦争をしない、平和な民主主義の国である」と定義するのなら、米国はどう見ても全ての国民は平等ではなく、白人のための白人による白人だけ有利な社会になっているのではと思う。

 トランプ前大統領はワシントンを離れる前の最後のスピーチで「Keep America Great」という言葉を残した。分断をつくり、混乱状態にした張本人なのに、どこが「偉大な国のままに」なのか。お門違いも甚だしく、飛ぶ鳥跡を濁したトランプ前大統領の責任は大きい。

 (鈴木多美子バージニア通信員)