宮古との出会い 下地美夏子(中部支社)


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written by 下地美夏子(中部支社報道部)

 「宮古の人ね?」。名刺交換時によく尋ねられる。宮古の代表的な姓「下地」を見ると、聞かずにはいられないらしい。父は宮古島で生まれたが、私は浦添市出身。それまで名字を意識したことはなかった。出身地を確認するやりとりに慣れてくると、その微妙なニュアンスから「宮古」に抱く感情を読み取れるようになった。共感、羨望(せんぼう)、敬遠―。本島から見た宮古には、さまざまな思いが渦巻いているようだ。

 取材を通して宮古にルーツのある人と出会うことはままある。沖縄市では軍作業などの職を求めて1950年代から人口流入が始まった。離島からは奄美大島に次いで宮古群島の出身者が多かったという。

戦後、県内各地から職を求めて多くの人が移り住んだ沖縄市。コザを象徴する通りの一つ中央パークアベニュー

 取材の合間、洋服の直しを頼もうと、市中央にある洋裁店に立ち寄った。開業した90代の女性は宮古島出身。60年代にセンター通り(現中央パークアベニュー)で店を構え、米軍関係者向けにスーツを仕立てていたという。現在は2人の娘と店に立つ。裁縫は日課だ。家族や親族から聞いた話を頼りに、宮古にまつわる「あるある話」で会話が弾んだ。

 これからどんな宮古との出会いがあるのか。楽しみの一つでもある。

(沖縄市担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。