介護17年「この世から消えてしまいたい」夫殺害72歳、法廷で語った「SOS」


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 長年介護をした夫=当時(76)=と無理心中しようと、首を絞めて窒息死させたとして殺人の罪で懲役2年6月の実刑判決を言い渡された沖縄県の女性被告(72)。くも膜下出血で倒れ、認知症が進行していく夫を、被告は約17年間必死で支えた。介護が拒まれる場面もあった。公判では、日常的な介護をほぼ1人でこなし、発信するSOSがすくい取られることができないまま、悩みを抱え込んでいく被告の様子が明らかになった。専門家は「1人が介護の悩みや負担を抱え込んでしまうことは、どこの家庭でも起こり得る」と警鐘を鳴らす。

 ■介助拒否■
 「胸の奥に固い石を投げ込まれるようだった」。夫が介護を拒否し抵抗した時の気持ちを、被告はこう振り返る。

 夫は2003年にくも膜下出血で倒れ、認知症を発症。腎臓の病気なども患っており、2009年ごろから食前の2時間前の服薬が義務付けられた。生活は薬の時間に制約された。

 約10年間は要介護2以下を維持していたものの、2018年2月に要介護3、同年12月には要介護4と徐々に悪化。習慣化されていたことを忘れ、歩行も困難になっていった。

 だが、歯磨きの際には「おまえの勝手か」と抵抗するなど、しばしば被告の手助けを拒んだ。

 当時の心境を被告は「自信を喪失し、この世から消えてしまいたいと思うようになった」と明かす。

 夫に加え、実母の介護も担った時期もある。厳しく接する役回りに徹し、母から拒絶されるようになった。

 弁護側は「自分がやってきたことが裏目に出るという感覚を持つようになった」と指摘する。

 ■届かぬSOS■
 介護に追われる中での数少ない息抜きは、趣味の社交ダンスだった。通っていた教室では仲間を励すなど、積極的に人に働きかける一面を見せた。

 しかし、新型コロナウイルスの影響で、2020年2月ごろから教室に行かなくなった。「夫にうつしてはいない」との思いで、買い物以外の外出は控えた。

 この頃から無料通信アプリLINEで「生きていけない」などと息子らに送るようになる。

 息子らは同じ敷地内に暮らしていたが、家族間で具体的な悩みを共有することは少なかった。

 証人として法廷に立った息子は「母の話をしっかり聞いていれば、こんなことにならなかった」と、後悔の気持ちを吐露した。

 被告は公判で、無理心中を図った理由を「夫を残すと他の家族が大変な思いをする」と語った。最終陳述では「子どもたちや孫に寄り添い、家族に悩みを相談できるような私でありたい」と言葉を詰まらせた。

 8日の那覇地裁判決は、「完璧主義で抱え込みやすい性格」とし、最悪の事態を避けるために周囲に相談すべきだったと指摘した。執行猶予は付かず、懲役2年6月の実刑判決が下された。

 島村聡沖縄大学教授(社会福祉)は介助者が孤立感を深めた時、殺人に至るケースもあると指摘する。「気づいた人がしっかり支えないといけない。一人で介護を抱えている人がいないか、いま一度身近な人に目を向けてほしい」と述べた。