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「何しても無駄」不安な闘病生活 院内学級の出会いを力に 沖尚高3年・片山祈実香さん<ここから 明日へのストーリー>上


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闘病生活などを振り返る片山祈実香さん=2020年12月、那覇市国場の沖縄尚学高校(大城直也撮影)

 中学2年の時に、急性リンパ性白血病と診断され、治療の副作用で骨が壊死(えし)し車いす生活を送る沖縄尚学高校3年の片山祈実香(きみか)さん(18)。多くの人との出会いを通して闘病生活を乗り越えてきた。「次は私が支える側になりたい」。14日には高校の卒業式を迎える。大学進学を目指し、一日一日を大切に歩んでいる。

 最初はインフルエンザにかかったと思っていた。沖縄尚学高校付属中学2年生だった2016年11月、微熱や疲労感など体の不調を感じる日が続いた。12月中旬のある日曜日、高熱を出して歩けなくなり、自宅近くの病院を受診した。インフルエンザの検査は陰性。でも熱は下がらなかった。

 翌日、別の病院で血液検査を受け、精密検査のためそのまま入院した。入院3日目、医師から「急性リンパ性白血病」と告げられた。10カ月の入院と10カ月の通院治療を求められた。

 「白血病」。テレビドラマで聞いたことがある病名だった。「私もドラマの登場人物のように死ぬの?」。治療が始まって最初の1カ月は病気を受け入れられなかった。毎日、「死」の不安と闘っていた。

 血液検査の結果が悪ければ外出や食事が制限され、良ければ一時帰宅することができた。検査結果に一喜一憂する日々。化学療法も始まった。抗がん剤の影響で感染症にかかり、顔や腕がしびれ、話すことも指を動かすことさえできなくなる日もあった。

 「何をやっても無駄」。入院して治療を受けながら院内学級のある森川特別支援学校に転校したが、希望は見いだせなかった。

 院内学級には、同じ治療を受けている、自分より年下の子もいた。副作用で強い吐き気をもよおす子、髪が抜けてしまった子。それでも「早く学校に通いたい」と懸命に学級に通う小さな姿をたくさん見た。

 ある日、同じ学級で勉強していた子が退院後、ボウリング競技で活躍していることを紹介した新聞記事を見つけた。「いつか、私もつらい思いをしている子の希望になれるかもしれない。頑張らなきゃ」

 沖縄尚学高校で海外研修に参加したい、と付属中学校を志望した当時の気持ちを思い出した。研修旅行を目標に、約1年間の入院生活を乗り越え、中学3年の18年3月に退院、高校に進学した。

 「死は身近にある。一日一日を大切にして、もしも、明日死んでも後悔しないくらいの気持ちで生きていきたい」。闘病生活の中で出会った仲間たちから勇気をもらい、もう一度、前を向いた。

 (吉原玖美子)