墓移転「聞いたことない」普天間基地の地主ら困惑 返還合意しているのに…


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 米軍が運用上の理由で普天間飛行場内の墓の移転を計画していることについて、軍用地の地主関係者は「これまで墓の移転の話は聞いたことがない」と口をそろえ、戸惑いの声を上げた。

 県軍用地等地主会連合会の又吉信一会長は、「役所からも防衛局からも連絡がなく初めて知った。きちんとした問い合わせがあれば確認しようと思う」と困惑した。1996年の日米特別行動委員会(SACO)での返還合意以降、墓移転の話は「一切ない」という。

 地域の7割が軍用地になった字宜野湾の郷友会元会長、宮城政一さんは「終戦直後、米軍の指示で墓を基地外に移した住民はいた。基地内に一部の墓が残ったが、移転の話は聞いたことがない」と話した。字神山は基地建設で、戦前あった集落のほとんどが消失した。神山の歴史をまとめた「神山誌」編纂委員会の佐喜眞光雄委員長は「基地建設で、墓のほとんどが追い立てられるように移設させられた。墓の移転は最近ではほとんど聞かない」と漏らした。

 宜野湾市によると、文化財保護法で戦前から残る墓が集中する地区は遺跡として取り扱われ、開発工事には自治体への届け出が必要になる。この取り決めに基づき、米軍が2013年、市道11号の整備事業に伴う基地内道路の工事で、神山付近にある所有者のいない「空き墓」を取り壊した際、防衛局からの届け出を受け、市が調査した。

 普天間飛行場を巡ってはSACO合意から今年で25年となる。20年12月、東側の佐真下ゲート付近の土地約990平方メートルが返還されただけで、返還作業は進んでいない。14年、日本政府は県に「5年以内の運用停止」を約束し、19年2月に期限を迎えた。それ以降も新たな目標設定に至っていないのが現状だ。

 菅義偉首相は先月の施政方針演説で「普天間飛行場の一日も早い全面返還を目指し、辺野古沖への移設工事を進める」とした上で、「基地負担軽減に引き続き取り組む」と述べていた。