司令部中枢 保存良好か 32軍壕 県報告書「確信持てる」


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第5坑道の坑口から70メートル付近でそれまで琉球石灰岩だった地層が泥岩に変わる(県・那覇市旧第32軍司令部壕試掘調査業務報告書より)

 県が1993~94年度に実施した首里城地下の日本軍第32軍司令部壕の試掘調査で、那覇市首里金城町側の第5坑道の奥部分は沖縄戦当時に近い良好な状態であることを調査時に確認し、「司令部中央部の保存状況に確信を持てる資料を得た」と意義付けていたことが分かった。本紙が情報公開請求した「県旧第32軍司令部壕試掘調査業務報告書」に記されていた。 (中村万里子)

93・94年度、地質根拠に

 県はことし1月から始まった「第32軍司令部壕保存・公開検討委員会」の議論を踏まえ、中央部の調査の可否や優先順位を決めるとしている。93~94年調査では断念したが、新たに中央部の調査可否をどう判断するのかも注目される。

 報告書によると、93~94年度の県と那覇市(市は93年度のみ)の試掘調査では、最初は第5坑道側から中央部への到達を目指した。途中、崩壊部分を抜けて150メートルまで進んだ。報告書によると、110メートル付近から150メートル付近までは多少の崩落などはあったものの、建設当時のそのままの状態で残っていた。

 「保存状況は島尻泥岩中に掘られた壕としては最上位のものと考えられ、旧32軍司令部壕の中央部の保存状況を暗示する」と評価している。同じ島尻泥岩に位置する中央部の保存状況に手応えを得ていた。

 司令部壕の管理を所管する県女性力・平和推進課の担当者は本紙取材に、「中央部には戦後もずっと人の立ち入りがないので、確かに保存状況が良いということも考えられるかもしれない」と話した。

 沖縄戦当時、中央部には「作戦室」や「命令下達所」など軍の中枢機能が集中していた。97年策定の「第32軍司令部壕保存・公開基本計画」でも「歴史的価値の高い中枢部を中心に公開することを目指す」との基本方針を決定したが、県政交代で計画は実現しなかった。

 県担当者は未到達の中央部の調査について「県の検討委員会の議論の行方を踏まえ、優先順位を付けて決めたい」と答え、調査は未定だという。

 県検討委員会委員で、琉球大学の伊東孝教授(地盤工学)は取材に「全体像を知りたいという意見も委員の中には多い。この機会に中央部を調べると、どこを保存し、公開していけるのか幅広く検討できるのではないか」と話し、地質調査と合わせて中央部調査の必要性も指摘した。