窮状にOBら立ち上がる「後輩を甲子園に」夢の芽が今…<具商センバツ 支えを力に>中


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練習後、必ず全員でグラウンドに一礼する具志川商ナイン=23日、うるま市の同校

 一時は休部で活動が途絶えた具志川商。1989年に指導者らが復活させた“芽”を大切に育んできた。だが、その後も部員不足で他部や他校から選手を借り、なんとか大会出場を続ける苦しい時期もあった。「後輩たちを甲子園に連れて行きたい」。母校の窮状にOBたちが立ち上がる。

 「僕らの頃と変わらないユニホームを見て懐かしくて、何か協力できないかと」。中学硬式野球チームで指導していた比嘉克典さん(33)は10人前後で活動していた野球部の後輩を気に掛け、16年に外部コーチに就任した。甲子園出場経験はなく、OBをつなぐ組織もなかったが「なんとかOBでチームをもり立てたい」と同級生の喜舎場正太・現監督(33)に声を掛けた。

 民間企業に勤めながら、体育教諭を目指していた喜舎場さんには迷いもあった。ただ、会社から「協力できることは協力したい」との申し出もあり「心置きなく引き受けられた」と17年に外部コーチ、19年夏から監督に就任した。

 まず取り組んだのが人材発掘だ。地区大会のほか、引退した中学3年生が進学まで所属する育成会に足を運び、地元の子どもたちを呼び集めた。「無名校だけど一緒に新しい歴史をつくってくれないか」。声掛けで集まったのが現在の2年生だ。喜舎場さんは「うちを選んで来てくれた子たちを大事に育てたい」と指導に携わる。

 OBらの熱意を感じて、ナインも懸命にプレーで応える。19年の新人中央大会で準優勝を遂げると、20年秋季大会準優勝の快進撃を見せ、初の九州大会出場で8強入り。その熱意は保護者たちも動かした。

 九州大会前に、保護者が中心となってグラウンドを整備。重機を借りて整地し「たくさんの選手が同じ条件で練習できるように」と打撃投手用のネットを新たに作るなどサポートする。

 甲子園出場に向けても準備は急ピッチで進む。4日には学校や保護者、PTAなどで構成する「野球部を甲子園に送る会」を立ち上げ、選手たちの移動費や宿泊費捻出の協力依頼、応援グッズ制作と、日々多忙を極めている。保護者会の髙良正勝会長(46)は「みんな初めての経験で大変。でも、子どもたちが甲子園に立つことを思えば、頑張れる」。OBや保護者一丸で、ナインを聖地へと送り出す。

(上江洲真梨子)