2月24日付の「JIJI.COM」の「首相、山田広報官に続投指示 長男の関係を陳謝」という記事に心がざわつくようなことが書かれてあった。
「東北新社」にいる菅首相の長男による総務省接待&見返り問題において、当時総務省にいて7万4千円の食事をご馳走(ちそう)になった山田真貴子内閣広報官について、「極めて遺憾だ」と言いつつも、「真(しん)摯(し)に反省し、給与を返納している」ということで、「今後とも職務で頑張って欲しい。女性の広報官として期待をしている」と語ったのだ。
もちろんこの問題については、国家公務員の職業倫理はどうなっているのだということや、給料を返済すれば間違ったことをしても許される民間より甘い処分についてや、菅首相本人が「東北新社」から献金を受け取って、息子の勤め先である「東北新社」の子会社が衛星放送の許認可を得たのではないか、などという一国民としての心のざわつきポイントが集まっている。
その中でもあたしが取り上げたいのが前出の菅首相の発言だ。森喜朗元首相の女性蔑視発言が炎上したばかりだというのに、なんともあたしたち女性の心をざわつかせる発言ではないか。
あたしたち女性は、女性だから下駄(げた)を履かせてくれなんて一言もいっていない。女性であるということで差別をするな、といっている。首相ともあろう人が、なぜこんな簡単なことを理解できないのだろうかと呆気にとられる。
そう、「女性は話が長い」とした森元首相も、公務員としての倫理を持ち合わせていなかった山田内閣広報官に対し「女性として期待をしている」という菅首相も、根っこの部分はおなじだ。女だから、という彼らの偏見に満ちている。
そういえば山田内閣広報官は、若い子たちへのメッセージとして、飲み会を断るな、二度と誘われなくなる、といったそうだ。だったら、以前のあたしのようにホステスを仕事にすれば良かったのではないか?
(室井佑月、作家)