新垣産業会長の新垣誠福さん死去 85歳 沖縄北部法人会の初代会長


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 新垣 誠福氏(あらかき・せいふく=新垣産業会長)24日午後4時20分、食道せん孔のため名護市内の病院で死去、85歳。名護町大兼久(当時)出身。告別式は28日午後2時半から4時、名護市名護4558の16サンレー北部紫雲閣2階紫雲の間で。喪主は妻涼子(りょうこ)さん。

 千葉商科大卒業後、1958年に家業の新垣材木店(現・新垣産業)に入店し建材のほか、不動産事業も手掛けた。社長を経て、96年から同社会長。名護青年会議所の創設に尽力したほか、91年には沖縄北部法人会を設立し、初代会長を務めた。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の賛否を問うために、97年に行われた名護市民投票では、「条件付き賛成」を訴えた「名護市活性化促進市民の会」で会長を務めた。