「紡ぐ100歳」芭蕉布に生かされて 人間国宝・平良敏子さん 現在も10時間「苧績み」に励む


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 【大宜味】国指定の重要無形文化財である芭蕉布の人間国宝、平良敏子さんが2月14日、満100歳を迎えた。大宜味村喜如嘉生まれで、幼い頃から芭蕉布や織り物に囲まれて育ってきた。現在も毎日、芭蕉布会館へ足を運び、午前7時から午後5時まで、芭蕉の繊維から糸を作る「苧績(うーう)み」作業に励む。芭蕉布への思いは20代から今も尽きることなく、生涯続いている。

大宜味村喜如嘉の芭蕉畑で作業する平良敏子さん=2月22日

 「祖父の代から芭蕉布作りに熱心な家系だった」という平良さんの実家。「足が届かない頃から機織りに触れていた」と笑い、成長するにつれて木綿や絹の布を織るようになった。

 1944年、沖縄県勤労女子挺身(ていしん)隊として岡山の倉敷へ。そこで倉敷紡績社長の大原総一郎氏と出会い、戦後、織りを本格的に学んだ。46年に沖縄へ戻る際、見送りに来た大原社長の「帰ったら沖縄の織物を守り育ててほしい」という言葉に胸を打たれ、芭蕉布に取り組む原動力となった。

 しかし戦後の沖縄には芭蕉畑もなく、上質な糸が取れなかった。本来であれば芭蕉布に利用されない太い糸を使い、倉敷で学んだ紡績の技術を生かしてテーブルセンターやマットなどを発案した。販売すると米国人に人気となった。

 このほかにも、本土での販売向けに帯地やのれん作りを発案。着尺が主だった従来の芭蕉布作りに新たなアイデアやデザインを取り入れることで、販路の拡大と普及に尽力した。

 「芭蕉布に生かされて生きてきた」。これまでを振り返り、感慨深い様子で語る平良さん。「苧績みをしているときは昔の楽しかったことを思い出しながら作業している」と、穏やかにほほ笑んだ。「これからもできる限り作業を続けていきたい」と語り、きょうも工房の一角で糸を紡ぐ。

 (下地陽南乃)