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知念高校(3)「笑築過激団」スターの青春 喜舎場泉さん、津波信一さん<セピア色の春―高校人国記>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
2013年に開催された笑築過激団30周年記念ライブ

 沖縄の演劇に新風を巻き起こした「笑築過激団」の団員に知念高校出身者がいた。今もテレビや舞台で活躍する2人である。

 喜舎場泉(52)は43期。短大生の頃、学祭の劇をきっかけにテレビやラジオで活動してきた。琉球朝日放送の番組「十時茶まで待てない!」でお茶の間の人気者である。

 与那原町の生まれ。与那原小学校や与那原東小、与那原中学校で学んだ。

 「放送部に入り、学校行事で頑張った。幼い頃から人前に出るのが好き。踊ったり、お笑い劇をした。この仕事を始める時『やっぱりね』と言われた」

 中学卒業後、那覇市内の病院で看護師の助手として働いた。週に1回、院内勉強会で学問の大切さに気付いた。「勉強しなければ」と奮起し、1年遅れで知念高校に入学した。

喜舎場泉氏

 高校でも進んで学校行事に参加した。「もう時効だからはっぷがしますけど、那覇のディスコに通った」。その頃、衝撃を受けたのが沖縄のお笑いコンビ「ニーニーズ」だった。「沖縄の日常生活をネタにうちなーぐちでしゃべっていた。腹を抱えて笑った。ニーニーズの2人にあこがれた」と語る。

 キリスト教短期大学に進学し、城間やよいと出会う。学園祭で一緒に劇を作った。「私が物語を作り、やよいが演出し、皆で劇をやった。他の大学からも人が集まるほど評判となった。これがテレビ出演につながった」

 在学中からメディアに登場し、卒業後に笑築過激団に加入した。復帰20年の節目、沖縄が注目された時代だった。

 98年の映画「BEAT」に出演。監督で演出家の宮本亜門は芸人が生まれる知念高校に興味を持ち、喜舍場に訪ねた。「泉や信ちゃん(津波信一)がいる知念高校って堀越学園みたいな学校なの」

 芸歴は今年で32年を迎える。2018年、北島角子が演じた「島口説」に城間と2人で出演した。これからも新しいことに挑戦したいと喜舍場は語る。

 「私は、体は大きいけどシカボー(恐がり)なんです。いつも同じ道しか歩けない。だけど冒険をしてみたい。ちょっと道を曲がってみようかな」

津波信一氏

 津波信一(49)は45期。テレビやラジオ、舞台などで活躍の場を広げてきた。「男女共に元気で、学校は活発だった。知念高校の3年で、僕の人生は変わったと思う」と在学時を振り返る。

 71年、佐敷町新里の生まれ。佐敷小、佐敷中を経て87年に知念高に入学する。演劇が好きで、文化祭ではクラスの仲間と芝居をつくった。那覇市牧志の小劇場沖縄ジァン・ジァンであった笑築過激団の公演に通ったのも高校時代であった。

 「笑築を見るため、放課後、バスに乗って那覇に行った。こんなに面白いのがあるのかと思った」と津波は語る。沖縄が嫌で本土に出たいと思っていた津波にとって、沖縄をネタに会場を沸かせる笑築の登場は「衝撃だった」という。

 卒業を前にした90年2月、津波は推薦入試で合格していた大学への入学を断念した。家庭の経済事情が許さなかった。「先生に報告したら『なぜ相談してくれなかったんだ。奨学金もあったのに』と叱られた。泣いたよ」

 その頃、あるインタビューがきっかけとなり、NHKの短編ドラマに出演した。放映は卒業式直後の3月5日から5日間。津波は教室の黒板に「見てね」と書き残し、知念高を卒業した。この年、津波は笑築過激団に入団した。

 琉球放送のテレビ番組「お笑いポーポー」が評判を呼び、笑築の人気は一気に高まった。「どんどん沖縄の人が自信を付け、自分たちのことを面白いと感じ、笑えるようになった」と津波は振り返る。

 笑築で5年間活動し、その後は佐敷に拠点を置き、青年会長など地域活動に携わる。2006年には劇団「TEAM SPOT JUMBLE」(チームスポットジャンブル)を旗揚げした。NHK沖縄放送局の情報番組「きんくる」への出演は14年目を数える。

 「僕はチームが好き。チームの中で一度でも二度でも個人としてもチームとしても闘う」と津波。今年3月、演劇の仲間たちと共に喜劇「人類館」をウェブ配信で上演した。

(編集委員・小那覇安剛)
(文中敬称略)