命は「たまわりもの」東北~沖縄往復10年「譲れぬこと」 詩人・白井明大<つながる・備える―東日本大震災10年>3


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 あの震災と原発事故から10年が経(た)つという。

 地震が起きたのは金曜日だった。その4日前の月曜日に、ぼくは仕事で郡山を訪れていた。ほんの4日前には、とびきりおいしいほっけの定食を郡山で食べていた。金曜日の地震と津波に続き、土曜日からは、東京電力の原子力発電所が次々と爆発するのを、東京の自宅でニュースで見ていた。その数日間、テレビを点(つ)けっぱなしにしていた。いつ何が起こるかわからない緊張状態だった。地震から5日目の火曜日に、沖縄の叔父に電話した。しばらく泊めてもらえないかと請うと、叔父は即座に快諾してくれた。7日目の木曜日、ぼくたち家族は那覇空港に着いていた。

引き裂かれる感情

東日本大震災から約2年後、筆者が福島県いわき市に住む布作家の友人宅で撮影した写真。詩集「生きようと生きるほうへ」の冒頭の詩にこの時のことを書いた=2013年3月

 郡山での仕事は3カ月後に再開され、6月に那覇から羽田経由で福島へ向かった。同行した人は、郡山にいる間、心底おびえた様子で、仕事が終わるとすぐさま東京へ戻っていった。崩壊中の原発から七、八十キロの場所にいて、怖がるのは当然だと思う。ぼくはといえば、その後会津と仙台を訪れ、友人や知己と再会し、詩の朗読会を開いた。

 以来、沖縄と東北を行き来してきた。割れた窓ガラスや穴の空いた屋根を修繕できないままの建物。津波が届いた形跡そのものの住宅地が削りとられてできた荒地。放射性物質を含むおそれがあり、むやみには浴びることのできない風や雨。そうした福島や宮城の現実に心を重くして、島に戻れば、気持ちのいい南風にガジュマルの枝葉が揺れている。芝生にすわり、深呼吸して、澄んだ夕空を見上げる。同じ人間の暮らしなのに、なぜ住む土地が異なるだけで、こうも違うのか。引き裂かれるような感情が湧き上がってやまなかった。

 震災後のおよそ2年間、それまで一貫して書いてきた、日常に題材をとる詩を書けなくなった。夜な夜な午前2時3時まで眠らず、盃(さかづき)に注いだ泡盛を舐(な)めつつ、ぼんやりと台所の床に腰をおろし、思うとも考えるともなく時を送った。それでも過酷な現実だからこそ、なおさら自分自身が過ごしている実際のありさまを書く必要を感じた。思想は、生活という実践を通して試される。命が大事だというのなら、己の生きる選択そのものを詩として差し出さねばならないと、それは震災前から変わらない、ぼくの詩論だ。

必死に生きる姿

 つらいのは、同じいまを生きる人間が、あの場所で、こんなにも困難にさらされねばならないのかと「格差」を目の当たりにしたことだった。と同時に、沖縄がさらされ続けている危難を間近にもしながら。

 移住して初めての秋、子の通う幼稚園の運動会があった。青々とした空の下、子らが思いっきりからだを動かしている。それと同じことが、福島ではしたくてもできない状況にある。そう思うとたまらなかった。乗り越えることができたのは、いわきの現状と向き合って必死に生きる人の姿に接し、あの人が必死で生きているのだ、自分もいまを必死で生きねば、という思いに立ち返れたのが契機だった。身近な島の植物のあざやかな生命の姿が、生きることのかけがえなさをまざまざと感じさせてくれたことも大きい。

 沖縄暮らし2年目の秋、再びめぐってきた子の運動会のさなかに、ぼくは衝動が湧いてメモ帳に詩を書きつけた。ちょうど1年前の運動会で、ラジオ体操のときに、子がはりきりすぎて転んでしりもちをついた。そのことが印象に残っていて、ぼくは同じ場所、同じ運動会という状況で、1年前のことを詩にした。ただ、それですぐに完成とはいかず、書きつけた初稿をその後眠らせた。書いてから2年ほど経った頃、もういちど取り出して推敲(すいこう)し、詩集に収める一篇に加えた。詩集づくりの間、手直しと校正をくり返した末に、けっきょく改稿を捨て、運動会の日にグラウンドの隅で書いた最初の形にほぼ近いままを載せた。詩のタイトルは「校庭のかげひなた」。

命が何より大事

 命というのは、たまわりものだ。沖縄で暮らしてきた10年間、その思いがずっと心にあった。祖先の乗る船が難破して石垣島の人に救われた話も、その後この島で代々生きてきた一族の歴史も、戦火をくぐって疎開先で生まれた母も、戦後の混乱を経てぼくが生まれたことも、そして、愛(いと)おしい子を授かったことも。きらめく命の大事さを、島にいる間ずっと、痛いほどひしひしと感じてきた。間違っても他の何かを優先して、命を後回しになどできない。〈経済のことも考えるべきだ〉、〈大勢の人のことを考えたら、少数の犠牲はやむをえない〉といった考え方が震災後まことしやかに言われたように思う。だが、誰かの安全や健康、まして命の犠牲の上にしか成り立たない社会とは、〈お国のために犠牲になれ〉と命を圧し潰(つぶ)したファシズムと何がどれほど違うというのだろう。

 2015年、震災から四年後の夏に詩集『生きようと生きるほうへ』を上梓した。命こそが何よりも大事だと、沖縄に生の由縁を持つ者として、絶対にこれだけは譲れない。


白井 明大

白井明大

 しらい・あけひろ 詩人。1970年東京生まれ、横浜育ち。2011年3月から21年2月まで沖縄に在住。12年刊行の「日本の七十二候を楽しむ―旧暦のある暮らし―」が30万部のベストセラーになった。「生きようと生きるほうへ」が第25回丸山豊記念現代詩賞を受賞。著書多数。