福島への思い、揺るぎなく 郡山市出身の福本さん 那覇の居酒屋で故郷の食材使い応援


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
福島産の日本酒と「とりからたまご」の福本考平さん=7日、那覇市泊の居酒屋「とりからたまご」

 「食を通して少しでもふるさと、福島を応援したい」。2015年から那覇市で居酒屋を営む福島県郡山市出身の福本考平さん(34)=那覇市=は、福島県産の食材や日本酒にこだわる。東日本大震災から10年。「沖縄の温かさに救われた。沖縄への恩返しは、地元、福島の食材でもてなすことだ」と気持ちを新たにしている。

 11年の震災発生当時は福島を離れ、東京で会社員として働いていた。突然襲った大きな揺れ。「外に避難すると、高層ビルの先まで揺れていた」と恐怖を振り返る。

 実家は郡山市だが、父は海外に単身赴任、母は大阪にいたため無事だった。しかし、連絡が取れない友人や地元の状況を考えると眠れない日が続いた。

 震災後、福島の友人に必要な物資を送るなど、できる限りの支援をした。一方で、東京では次第に周囲が震災に無関心になっていくように感じ、やりきれなさが募った。13年に東京の職場を退職した。

 これからは「自分がやりたかったことをやる」と決意し、以前から憧れていた飲食店経営を目指した。福島に戻ることも考えたが、当時は東京電力福島第1原発の事故による風評被害があった。

 そんな時に思い出したのが、大学時代に同級生と訪れた沖縄。居酒屋で聞いた言葉「いちゃりばちょーでー(一度出会えば兄弟)」の温かさに引かれ、沖縄に決めた。

 沖縄に移住後、複数の飲食店で経営の仕方を学び、15年に満を持して、那覇市泊に居酒屋「とりからたまご」を開店した。福島の日本酒が飲める店として営業し、客足も軌道に乗り出した頃、福島の知人農家から「野菜はいらないか」との連絡をもらった。

 原発事故の影響で福島産の食材は汚染されているとの風評が広まり、生産した野菜が多く売れ残っていた。福本さんは沖縄の人も「福島産を拒絶するのではないか」と迷ったが、地元を助けたいとの思いで譲ってもらうことにした。客に前もって福島産であることを知らせ、料理を出した。反応は意外だった。どの客も「おいしい」と頬張っていた。

 新型コロナウイルスの影響で時短営業を余儀なくされた期間で、オリジナルの調味料を考案し販売した。その経験を生かし、次は福島産の食材を使った調味料を販売しようと考えている。

 福島を支援できる方法は何か。沖縄の地で日々考えている。
 (名嘉一心)