米軍、日出生台演習制限拒否 住民軽視変わらず 訓練優先、拡大懸念も


社会
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 米軍は大分県の陸上自衛隊日出生台(ひじゅうだい)演習場で実施する155ミリりゅう弾砲実弾射撃訓練について、地元自治体が求めていた午後8時以降の砲撃自粛を20日までに拒否した。夜間砲撃自粛を巡っては、日米合同委員会で協議し、訓練は2020年度から2年連続で見送られたが、再開される可能性が出てきた。米側は即応能力の維持などを拒否の理由に挙げている。沖縄と同様に、米軍訓練が住民の生活より優先される状況が浮き彫りになった。

砲撃自粛の確認書

米海兵隊の射撃訓練が移転された陸上自衛隊日出生台演習場。周辺には訓練実施などを知らせる電光掲示板が設置されている=2019年12月、大分県玖珠町

 砲撃訓練は米軍キャンプ・ハンセン(金武町など)から日出生台など県外5カ所の陸自演習場に移転された。日出生台演習場は周辺地域で高齢者が多いことや畜産業・湯布院温泉などでの観光業が盛んなこともあり、訓練が移転された5カ所で唯一の制限を設けている。

 陸自は同演習場について17年9月、大分県に冬期の午後8時以降の砲撃は自粛すると回答していた。米軍への対応については同年10月、九州防衛局と大分県、地元3市町の間で確認書を交わし、陸自と同様に米軍の射撃時間短縮を図ることを定めた。

 19年度の訓練は20年2月12~20日に実施され、9日間(1日は小火器訓練)のうち5日で終了時間の超過が確認されていた。同3月、広瀬勝貞大分県知事が国に夜間砲撃の再発防止策などを日米で合意することを求めていた。

 18日、広瀬氏は国会内で岸信夫防衛相と会談し「日米安保条約や沖縄県の負担軽減、最近の国際情勢から米側は固い」などと説明を受けた。岸氏との会談後、広瀬氏は記者団に「遺憾だが、県民の安全・安心確保を考えていきたい」と厳しい表情で語った。

 防衛省は本紙の取材に、同演習場での22年度以降の米軍訓練についてまだ調整していないとした上で「排除されない」と答えた。同演習場での米軍訓練を監視してきた「ローカルネット大分・日出生台」の浦田龍次事務局長は「これまでは司令官によって対応がまちまちだったが、米軍が組織として地元よりも訓練を優先するという姿勢が示された」と警戒感を募らせる。

「即応性の維持」

 沖縄の日本復帰後、米軍キャンプ・ハンセンでの砲撃訓練は1973年から97年まで続いた。87年には砲弾が空中爆発し、破片が牛舎などに飛散する事故も発生している。復帰直後から県なども中止を求め続けてきたが、米軍は「即応部隊としての機能維持のため」などと応じず、県外移転までに20年以上を要した。

 復帰後の訓練は恩納村安富祖と金武町金武を結ぶ県道104号を封鎖して実施された。恩納村喜瀬武原区の生活道路が封鎖されることもあり訓練への県民の反発は根強く、74、76年には阻止団が基地内に入り、訓練が中止されたこともある。砲撃訓練の県外移転は96年の日米特別行動委員会(SACO)合意で決定されたが、キャンプ・ハンセンでも危機時に必要な訓練は認められたままだ。

 キャンプ・ハンセンでの実弾射撃訓練の中止・延期は米軍関係の事件・事故後などに限られていたという。訓練移転時に金武町長を務めた吉田勝廣氏は「(訓練中止は)『自粛・自重』で米軍の都合によるものだった」と解説する。

 県外移転後、訓練1回当たりの発射弾数が4・1倍に増えるなど日本全体で見れば拡大・強化されている。吉田氏は「本土移転によって沖縄でできなかった訓練が実施されている。(地元住民が)慣れてしまい、訓練が拡大されていくだろう」と指摘した。

 本紙は今年1月13日以降、在沖米海兵隊に日出生台演習場での夜間砲撃自粛への認識などを複数回メールで質問しているが、3月20日までに回答は得られなかった。

(知念征尚、塚崎昇平)