[日曜の風・室井佑月氏]差別、なくなれ! 沖縄へのさげすみ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
室井佑月 作家

 どうして、いつまで経(た)っても差別はなくならないのだろうか。

 先週、レギュラーで出ているラジオ番組に、「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」の著者であるジャーナリストの安田浩一さんを招き、この問題について話し合った。

 じつは安田さんとお会いするのは10年ぶりくらいだったが、そのときもこの問題について話し合った。あれから世の中は良くなったのだろうか、悪くなったのだろうか。「あまり変わらないね」とお互いに答えた。「でも、変えていこうとしないとね」と。

 安田さんが前出の本を書くきっかけは、2015年にある作家が自民党の勉強会に出て「沖縄の新聞は潰さなあかん」と暴言を吐いたからだ。結局、本を読んでもらえばつぶさにわかるが、デマを吐いてまで沖縄をおとしめていたのは、この作家のほうだった。

 けれど、そういった真実がわかった今でも、この作家も、この作家のお仲間たちも、おなじようなことをしつづけている。それが許されてしまう社会だから。

 差別は憎むべき悪だ。それは世界の常識だ。

 差別主義者に対して差別主義者だということや、差別に対して差別と指摘することを、あたしたちは躊躇っている場合ではない。

 けど、そういうことをいうと、「意見が違う人を排除するのか。そんな不寛容な世の中でいいのか」などといってくる人たちがいる。そうではない。というか、そんなことはいっていない。

 自分だって気づかずに差別をしてしまうことだってあるかもしれない。でも、まわりに指摘されれば、気づきになる。そして反省し、二度としなければいいだけの話だ。無自覚に差別を広めてしまっている人もいるわけだし。

 しかし、根っから差別主義者で、方々から指摘されてもまったく差別を止めない人もいる。そういう人を増長させているのは、多くの人の無関心だ。

 やはり差別は、みんなでいちいち指摘していかないといけない。10年後、差別がなくなっているといい。

(室井佑月、作家)