人間国宝・故金城次郎さんの登り窯を改築 築49年「寂しい」、内部は「幻想空間」


社会
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登り窯の内部を取り壊す作業を進める陶工ら

 【読谷】県内初の人間国宝、陶芸家の故金城次郎さんが那覇市壺屋から拠点を移し、1972年に読谷村座喜味に構えた登り窯「金城次郎窯」で、大規模な改築工事が行われている。六つある窯内の袋(焼成室)のうち四つが経年劣化で危険な状態だったため、共同使用する8工房の陶工らが工事を進めている。6月中旬の完成を目指す。沖縄の復帰直後に那覇から移転して49年。沖縄の伝統工芸を支えてきた登り窯の、初の改築に関係者らは「寂しい」「より良い作品を作りたい」など、さまざまな思いを抱いている。

 34年にわたり金城次郎窯で作品を生み出してきた島袋常秀さん(73)によると、登り窯はいったん火を入れると3日間は付きっきり。1280度前後の高温でじっくり焼き上げるというが、2~3年前から袋の内部にひびが入るなど劣化が深刻になっていた。島袋さんは「歴史を刻んだ窯を取り壊すのは残念だが、このまま使用するのは危険だと判断した」と経緯を説明する。その上で「火の力や入れ方によって作品の善しあしが決まる。作品に命を吹き込む窯が丈夫で良いものとなるよう、愛情を込めて造りたい」と述べた。

壺屋から移転して49年、初の大規模改築工事が進められる金城次郎窯=9日、読谷村座喜味のやちむんの里

 陶器工房虫の音の陶工、当山友紀さん(43)も「正直、寂しい」と本音を漏らす。年季の入った窯の内部は灰や色とりどりの釉薬(ゆうやく)がこびりつき、大きな作品のような、幻想的な空間だったという。当山さんは「仕方がないと思う一方で、自分たちで造り直す窯から今後どんな作品が生まれるのか楽しみでもある」と述べ、前を向いた。

 沖縄のやちむんについては1682年ごろ、琉球王朝の尚貞王が各地に点在した窯場を壺屋に集めて陶業の発展を図った。時代の変化と共に、那覇は住宅が密集し焼き物を焼くには無理が生じたため、窯場の多くが移転を余儀なくされた。沖縄陶芸界の重鎮である金城次郎さんもその一人で、同氏の読谷への移転が、嘉手納弾薬庫の返還跡地に広がる現在の「やちむんの里」の素地(そじ)となった。
 (当銘千絵)