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気鋭の若手を突然襲った体の異変「舞台はもう無理だ」 琉球舞踊家・嘉陽田朝裕さん<ここから 明日へのストーリー>上


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 異変は突然やってきた。2019年1月15日の午前2時ごろ、舞台と懇親会を終えて帰宅した琉球舞踊家・沖縄芝居役者の嘉陽田朝裕さん(33)は、いつものように台本を開いた。就寝前に台本を覚えるのが日課だった。だが、この日に限り眠くて仕方がない。頭痛もする。諦めて眠りについた。午前5時ごろ、トイレに行きたくて目が覚めた。金縛りになったように体が動かない。何とか体を起こしたが、すぐに倒れた。「おかしい」。家族を起こそうとしたが、声が出ない。「どうなってるんだ」。急に襲ってきた病にパニックになった。

インタビューに答える嘉陽田朝裕さん=1月20日、那覇市首里石嶺町の嘉陽田早苗琉舞研究所(ジャン松元撮影)

 朝裕さんは幼い頃から芸能に慣れ親しんだ。母の早苗さんは女性の役者だけでつくる乙姫劇団の団員。朝裕さんも乙姫劇団に憧れた。男子ゆえに役者として出演することはできなかったが、2002年の閉団公演で太鼓を打たせてもらったことを強く覚えている。

 高校卒業後に乙姫劇団出身の大城光子さんの芝居に出るようになり、自身の劇団「美風華」を旗揚げした。子どもたちに踊りを教え、「創作こども舞踊集団美風花」も立ち上げた。気鋭の若手として注目を集め、ベテラン役者からも期待を寄せられた。特撮ヒーロー「琉神マブヤー」シリーズでは、龍神ガナシーに変身する上運天ジュン役を演じた。妻の旭(あさひ)さん(27)は「いつ寝ているのか分からないくらい忙しくしていた」と振り返る。

 倒れた夜、当時生後8カ月だった長女の花菜実ちゃん(2)が泣き出し、家族も目を覚ました。声が出ない朝裕さんは、どうにか口で「んーんーんーんー」とサイレンのまねをし、救急車を呼んでもらった。妻や子どもの名前が思い出せず、目の焦点も合わない。そのまま入院した。4日後には県外公演を控えていた。朝裕さんは「それまでに治して行く」と粘ったが、家族の反対で渋々キャンセルした。

 倒れた原因ははっきりしないが、過労などによる循環器の疾患と診断された。手術はせずに済んだが、体力は劇的に落ち、それから3カ月間は、車いすで過ごすことになる。旭さんも困惑し、「どう接していいのか」と悩んだが、むしろ本人が明るく振る舞い、家族を励ました。そんな姿に、旭さんは「人を勇気づけるために生まれてきたような人だな」と感じた。

 当初、朝裕さんは「すぐに回復する」と考えていた。だがリハビリが始まっても、立つことすらできない。歌劇を演じ、作詞作曲もしていたのに、何の歌も思い出せず、焦りが募った。

 それまでは芸能が全てだった。「舞台はもう無理だ」と感じるようになり、「生きているのがつらい」と思った。「舞台への思いを断ち切らないと前に進めない」。芸の道を諦めようと決意し、テレビもスマートフォンも見ず、情報を遮断した。

 再び芸能活動への意欲を取り戻したのは、あるおばあさんとの出会いがきっかけだった。

 (伊佐尚記)