うるま市の皆さんへ 担当として駆け回った2年間 砂川博範(中部支社)


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written by 砂川博範(中部支社報道部)

 2019年4月から2年間、うるま市全域の取材を担当してきた。宮古で生まれ育ったぼくにとって、縁もゆかりもない土地だった。やっていけるのか当初は不安もあった。

 そんな状態で移り住み、具志川、石川、与那城、勝連を回った。最初は右も左も分からなかったのに、今では細かい道や施設まで把握している。本当に多くの出来事を取材した。いろんな人と知り合い、時間を共にした。うるま市の人はみんな温かく、距離が近い。地元のような懐かしさを感じた。

うるま市の海中道路=2016年4月3日、うるま市与那城屋平(小型無線ヘリから撮影)

 5月から北谷町、北中城村、中城村を担当することが決まった。そのため、この2年間のことを最近よく振り返るようになった。担当記者として役割は果たせたのかと考える。

 最初の大仕事は「石川・宮森小米軍ジェット機墜落事故」60年の取材だった。そのほか、印象深いのは「選択的夫婦別姓」。闘牛女子・久高幸枝さんの連載や沖縄アミークスの児童生徒の活躍を数多く取材できたことも貴重な経験だった。

 本音を言えばお世話になった一人一人に直接会い、担当が変わることの報告がしたい。しかしそれは現実的に難しい。だからせめてこの場で伝えたいと思う。

 うるま市の皆さんへ。2年間お世話になりました。本当にありがとうございました。

(うるま市担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。