地道で控えめに輝く 伝統芸能と新歌も大切に 新垣成世<新・島唄を歩く>


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民謡への思いなどを語る新垣成世((C)K.KUNISH)

 沖縄では今日でも新しい民謡が次々と生まれている。生活スタイルが刻一刻と変化する現代社会においても、三線音楽=島うたはすたれることはない。それどころか、その年に発表された新曲をコンクール形式で競い合う「新唄大賞」(ラジオ沖縄主催)なる沖縄音楽への大きな登竜門さえ存在する。昨年はコロナ禍で中止となったが、今年は関係者の努力もあって、2月28日に琉球新報ホールで公開審査された。昨年のスライド形式となった今回の新唄大賞グランプリを勝ち取った歌手こそ、新垣成世(なりせ)である。

 小浜 まずは新唄大賞グランプリおめでとう。

 新垣 ありがとうございます。受賞曲「ウシリガフー(最上級の謝意)」は東方の聖地(与那原、佐敷、知念、玉城)を謳(うた)っている歌で、作者の久米仁先生が南部出身の歌手を探す中で、話をいただきました。

 小浜 久米仁先生といえば「娘ジントーヨー」や「島々清しゃ」など有名ですね。

 新垣 はい、CD収録の時もわざわざ立ち合って下さいまして、厳しく指導していただきました。

 

小3から教室へ

 「新唄大賞」は毎年春に開催される「三線の日」「三板の日」と並ぶ沖縄音楽の大きなイベントの一つ。1990年から開催され、今年で31回目を迎える。ベテラン、新人を問わず県内外、また海外からも作品は寄せられ、歌の実力はもちろんのこと、作詞作曲の優秀性や、斬新さ、ヒット性などを競ういくつかの賞が設けられている。歴代の各受賞曲から生まれた名曲やヒット曲も多い。近年は若手歌手の参加が顕著で、民謡の人気や裾野を広げる一翼を担っているといえよう。

 小浜 出身は?

 新垣 生まれも育ちも八重瀬町具志頭新城、まだ出きれていません。

 小浜 身近に音楽が?

 新垣 公民館が家のすぐ側で、何もしないで音楽が流れていた。またここは地域のイベントが盛んで、両親にも「行きなさい」と言われ、青年会は逃げずに参加しました。

 小浜 シーヤーマーは女性達の伝統芸能?

 新垣 はい。前踊りで男の人も踊ったりする。それは父もやりました。

 「シーヤーマー」とは椎(しい)の山のこと。八重瀬町新城にはかつて椎の木の群生する山があり、椎の実は貴重な食料であった。秋に熟する椎の実を集めるのは女性達の仕事。王朝時代から伝わる芸能舞踊「シーヤーマー」は、かつての新城の女性達が、椎の実を拾い集める様子や所作が舞踊化し、他では見られない集団舞踊の芸能として伝承されている。

 小浜 三線を始めたいと思ったのは?

 新垣 母がいつも民謡を歌っていた。それで幼稚園の頃、三線教室に行ったら「まだ早いから3年生になってから来なさい」と言われて小学3年から民謡研究所に通い始めた。

 

三線を抱え、笑顔を見せる民謡歌手の新垣成世=3月、八重瀬町の自宅((C)K.KUNISH)

母の後押し

 やっと通えた三線教室、楽しくてしょうがなかった。しかし周りには大人しか居なくて「この子楽しいのかな」と思われていたのではないかと、成世は当時を思い出す。そんな彼女を後押ししたのが母であった。5年生になると糸満の教室へ変わったが、もともと民謡好きの母は、どんな時でもどこへでも送迎の車を出した。

 小浜 すごいキャリアですね。もう教えている?

 新垣 教師は取ってません。まだ人に教えきれないから。

 小浜 職業は?

 新垣 酪農組合で、農家さんを相手にしながら生乳検査をやってます。職業歌手というよりも、他の仕事をして、そこから見えてくるものを歌に生かせたらと思ってます。

 小浜 好きな歌手は?

 新垣 山里ユキさん、伊波貞子さん。「でいご娘」「フォーシスターズ」とかの姉妹ユニットが好きで、格好いいなあ、とずっと聴いています。

初アルバム発売

 すでに芸歴は20年に達し、中学3年生の時「汗水節大会」でグランプリを獲得したのを皮切りに「恋し鏡地大会」「本部ナークニー大会」「梅の香り大会」「二見情話大会」等々、地域の民謡大会にて、大賞などを総なめにしてきた。昨年11月にはCDファーストアルバム「しなやかに…島うた」(MIRI RECORDS)をリリース。着実に人気と実力を備えた若手女性歌手といえよう。

 小浜 CDアルバムもリリースして活躍してますね。

 新垣 その前に、他の歌手のCDに参加したり、いろんな方々の手伝いをさせてもらったり勉強させていただいてます。また、良い先輩方や先生方にかわいがられて引っ張ってくれる人が周りにいっぱい居て、運がいいです。ありがたいです。

 「これからの目標は?」と最後に聞いた。ちょっと間を置いて「『民謡紅白』に出場したい、今はないですけど」と成世は笑った。

 (小浜司・島唄解説人)


働いて歌う喜び

汗水節(あしみじぶし) 作詞・仲本稔 作曲・宮良長包

一、汗水(あしみじ)ゆ流(なが)ち 働(はたら)ちゅる人(ひとぅ)ぬ

 心嬉(くくるうり)しさや 與所(ゆす)ぬ知(し)ゆみ

二、一日(いちにち)に五十(ぐんじゅう) 百日(ひゃくにち)に五貫(ぐかん)

 守(まむ)てぃ損(すく)にるな 昔言葉(んかしくとぅば)

三、朝夕働(あさゆはたら)ちょてぃ 積(ち)ん立(た)てぃる銭(じん)や

 若松(わかまち)ぬ盛(さか)い 年(とぅし)とぅ共(とむ)に

四、心若々(くくるわかわか)と 朝夕働(あさゆはたら)きば

 五六十(ぐるくじゅ)になてぃん 二十歳(はたち)さらみ

五、寄(ゆ)ゆる年忘(とぅしわし)てぃ 育(すだ)てぃたる産子(なしぐゎ)

 手墨学問(てぃしみがくむん)ん 汎(ひる)く知(し)らし

六、公衆(うまんちゅ)ぬ為(たみ)ん 我(わ)が為(たみ)ゆとぅ思(うむ)てぃ

 百勇(むむいさ)みいさでぃ 尽(ちく)しみしょり

 

~~肝誇(ちむぶく)いうた~~

 新垣成世が出身地の民謡「汗水節」大会でグランプリを獲得したのは弱冠15歳であった。近所の公民館から流れるこの曲は、物心着いた頃からの時計代わりであった。小学校で教訓歌だと教わり、中学生で労働歌だと知った。彼女の歌人生の節目節目で現れては励まされ、羽ばたかせてくれたのが「汗水節」であった。故郷の歌という意味でも最も影響を受けた、と成世は振り返る。

 「汗水流して働く人の、心嬉しさは他所には分かるまい」と始まる「汗水節」は労働の喜び、貯蓄倹約そして社会奉仕を奨励する「物知らし節(教訓歌)」である。1928年(昭和3年)、昭和天皇即位事業の一環として、沖縄県は貯蓄奨励民謡の歌詞を募集した。当時、具志頭村仲座の青年団長をしていた仲本稔(1904~77)の歌詞が入選。曲をつけたのは沖縄が誇る偉大な作曲家・宮良長包(1883~1939)。ただ意固地な貯蓄奨励ではなく、日々の努力は自分のため、ひいては世のためだと説く。後に加えられたという「シュラヨーシュラ働かな」と緩やかに囃(はや)すあたりは沖縄の生活感がにじみ出ている。