沖縄の子どもたちの「希望の星」に 五輪決定の屋比久が背負う思い


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
昨年12月、2連覇した全日本選手権で相手選手を豪快に投げる屋比久翔平(下)=2020年12月18日、東京・駒沢体育館

 五輪へ懸ける熱意が、屋比久翔平の競技人生の原点だった。浦添工1年時にあった2010年の美ら島総体の時から目標は明確だった。「確実に勝てる技と力を身に付け五輪を目指したい」。レスリング選手として五輪最終選考会に2度挑んだ父・保さんの背中を追い、小学生で競技を始めた。自身がかなえられなかった夢を息子に託し、保さんも指導者としてサポート。父が越えられなかった壁を越え、世界の頂へ大きな一歩を踏み出した。

 全国大会での初優勝は高校2年、11年4月の全日本ジュニア選手権。前年初戦で敗退し苦い思い出となった翌年、名を全国へ知らしめることとなった。「夢は世界チャンピオン。やっとその舞台に立てる」。県内高校生選手で初めて、世界大会に出場し準々決勝まで勝ち進んだ。12年には、全国高校選抜の学校対抗で県勢初の全国制覇を果たした。

 日体大3年の15年から全日本選手権3連覇と、国内トップを走り続けてきたが、世界の壁は厚かった。16年のリオデジャネイロ五輪出場が懸かった、同年3月のアジア予選は初戦、翌4月の世界予選は2回戦敗退で出場枠を逃し、悔しさを味わった。ただ、視線はすでに20年の東京を見つめていた。

 16年10月の岩手国体で優勝した際には「国内で圧倒的に勝たなければいけない」との言葉を有言実行してみせた。同12月の全日本選手権で2年連続の優勝も決め、「東京五輪で金メダルを取ること」と断言し、自身を奮い立たせた。

 屋比久が背負うのは、父の思いだけではない。「高校まで沖縄にいると練習相手が少なく、全国で活躍する選手も少なくなっている。沖縄の選手の目標になりたい」。五輪出場、そして金メダル獲得へ―。父に憧れて競技を始めた自身のように、一人でも多くの選手から憧れられるよう進化を続ける。闘志を全身にまとい、世界の頂へ突き進む。