[日曜の風・浜矩子氏]成長最優先 修正を 100年後の地球


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浜矩子 同志社大・大学院教授

 新学期が始まり、春学期前期の筆者の授業も2週目を迎えた。午後にこの授業の講義を控えてアタフタし、焦りながら、本稿を執筆している。

 筆者の授業は、いずれの科目も、「質問無くして授業無し」方式だ。毎回の講義に向けて、当日の課題に関して受講者の皆さんに「沸いて来た疑問」を寄せてもらい、それらを軸に当日の議論を進める。本日のテーマは「日本のGDP」だ。各種集まって来た「沸いて来た疑問」の中に、次のものがあった。「仮に、GDPが成長を続けたとして、100年後の世界はどのようになっているのだろうか」。これはなかなか面白い。筆者の答えは次の通りだ。

 国々のGDPが今後100年にわたって成長し続けるとなれば、その過程で地球経済は地球からはみ出し、地球を破壊して、一巻の終わりを迎える。地球経済は既に地球をはみ出してしまっているかもしれない。だからこそ環境破壊が進み、異常気象が常態化し、温暖化が加速している。地球環境は、ひたすら成長する地球経済から解放される必要がある。少なくとも休養は必要だ。

 この視点からだけ考える限りにおいて、コロナ対応で各国の経済活動が大きく落ち込んだことは、不幸中の幸いかもしれない。この間に、コロナの猛威がおびただしい数の貴重な命を奪い、さらに多くの人々が死活的困窮に追い込まれた。この悲惨な状況に思いをはせれば、「不幸中の幸い」などという言い草は、明らかに無神経で不謹慎だ。そうわが身を戒める。

 だが、同時に思う。人類は、このような生存の危機に見舞われなければ、成長一辺倒の経済運営を止められないのか。成長のペースをそれなりに制御することで、地球をお休みさせてあげるということができないのか。

 経済活動は三角形だ。筆者は、日頃からそう考えている。三辺の捉え方はさまざまである。その一つが「成長・競争・分配」の組み合わせだ。いつでも成長が最優先テーマだとは限らない。国々が成長最優先の経済運営をいったん軌道修正すれば、100年後も、地球も人類も生きながらえている可能性が芽生えて来そうだ。

(浜矩子、同志社大・大学院教授)