中里友豪さんを悼む 言葉を植え、耕す強靱さ (詩人・作家 大城貞俊さん)


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戦後70年の節目に、沖縄が置かれた状況について語る中里友豪さん=2015年9月、那覇市の自宅

 中里友豪さんの訃報に接した。友豪さんの闘病生活の苦しさに思いをやったばかりだったから深い悲しみと強い衝撃を受けた。友豪さんは私の詩の導き手だった。今、追悼文を書きながらさまざまな記憶がよみがえる。

 懇意にしてもらったのは、高校生の副読本「沖縄の文学―近代・現代編」を編集したのがきっかけだった。事務局を担当した私は何度も友豪さんに助けられた。また沖縄文学に対する視野の広さと深さに驚いた。

 その後、友豪さんが主宰する同人誌「EKE」に誘ってもらった。そうそうたるメンバーが名を連ねる同人誌だったが10年余の長い交流を重ねた。

 友豪さんは博識で、どんな話題にも持論をもって加わり穏やかに意見を述べた。実際友豪さんは詩の世界だけでなく、戯曲を書き、評論を書き、舞台に立つ役者でもあった。芸術全般を含め映画の話題も豊富だった。

 友豪さんの詩集「遠い風」が第21回山之口貘賞を受賞したときは心底うれしかった。私は何度か中里友豪論や書評を書き、友豪さんの詩の世界に強い関心と高い評価を有していたからだ。

 友豪さんの詩は状況に対して強い倫理観を持ち、不可視の闇をも浮かび上がらせていた。沖縄という場所で無念の死を強いられた死者たちに代わって、彼らの言葉をよみがえらせるところにも詩の特徴の一つがあった。

 また、他者を受け入れ、過酷な土地の記憶からも逃げ出すことなく正面から対峙(たいじ)し言葉を植え言葉を耕し自らの主体を立ち上げる。そんな強靱(きょうじん)さもあった。友豪さんのように生き、友豪さんのように詩を書きたいと思った憧れの先輩だった。

 かつての「EKE」の仲間であった花田英三さん、知念正真さん、山川文太さん、与那覇幹夫さんと相次いで逝去する。痛恨の極みである。ご冥福を祈りたい。
 (大城貞俊、詩人・作家)