【一問一答】沖縄から金メダルと子どもたちに夢を レスリング五輪代表・屋比久翔平


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 今月カザフスタンで開かれた東京五輪アジア予選で2位に入り、レスリングで県勢初の五輪出場を決めた屋比久翔平(26)=浦添工高―日体大―日体大大学院出、ALSOK=が19日、テレビ電話で琉球新報のインタビューに応じた。五輪出場が決まった瞬間の心境や3カ月後に迫る本番に向け、意気込みを語った。 (聞き手 長嶺真輝)

テレビ電話でインタビューに応える屋比久翔平=19日午前

 Q:準決勝を勝った時点で五輪代表が決まった。その瞬間の気持ちは。

 「試合では緊張しないたちだけど、準決勝だけは緊張した。終わった瞬間は、肺の中にいっぱい詰まった空気が『ふーっ』と全部抜けた感じ。ちょっと涙も出た。これまで試合で泣いた記憶はない。5年前のリオ五輪の予選で負けた時も実力差があり過ぎて、ポカンとした感じだった」

 Q:父・保さんから継いだ五輪出場の夢が実現した。

 「おやじが五輪に出られず、沖縄としてもまだレスリングでオリンピック選手が出てなかったのですごく思うところがあった。ただ目標は五輪で金メダルを取ること。この先はおやじも、沖縄としても経験がない。僕が歴史をつくっていく。金メダルを取れば沖縄のちびっこの心境も変わると思う。夢に向けて取り組みたい」

アジア予選の銀メダルを手にする屋比久翔平(右)と松本慎吾・日本協会グレコ強化委員長=9日、カザフスタン・アルマトイ(提供)

 Q:引退後は沖縄で指導者になりたいと話していた。

 「今もその気持ちは変わらない。小さい時は強い人に憧れる。自分を見て沖縄の子どもたちが何か思ってくれたらうれしい」

 Q:保さんや奥さん、息子さんに連絡は。

 「翌日に連絡した。おやじからは『お疲れさま』と言われた。妻には『やったよ』と伝えた」

 Q:大会に向けコンディションはどうだったか。

 「昨年12月の全日本選手権が終わった後、コロナの濃厚接触者になってしまい2週間練習できない時期があった。ただ家でできることをして、筋肉は増えた。その後もいいコンディションをつくれて、特に足は外国人選手にも勝っている感触があった」

 Q:コロナ禍での国際大会は初めてだった。難しさは。

 「現地で練習できたけど、それ以外でホテルの外に無断で出ると失格になる。普段なら減量中で街に出てリフレッシュするけど、今回はストレスもたまった。ただホテルにジムやサウナもあったので、最後の調整はできた」

 Q:準決勝は第1ピリオドで相手にパッシブが宣告されたが、投げ技が決まらなかった。

 「前半で相手がバテてるのが見えたので、焦りはなかった。後半もずっと攻め続けるという思いだった。体力や圧力で負けてる感じはなかった。ただ第1ピリオドで技を決められなかったのは自分の技術不足」

 Q:東京五輪に向けて意気込みを。

 「体力、技術、パワーをもう1段階、2段階上げる。金メダルは今の実力だと厳しいが、細かい点を突き詰め、相手との最初のコンタクトやグラウンドの精度、技術を詰めていけばチャンスは見えてくる」