「平和の礎」除幕参加 モンデール元駐日米大使死去 大田元知事と親交も


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1996年4月、米軍普天間飛行場の返還合意を発表する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日米大使=首相官邸

 亡くなった米元副大統領のウォルター・モンデール氏は、クリントン政権下の1993年9月から96年12月まで駐日米大使を務めた。95年9月、米海兵隊員らによる少女乱暴事件が起き、河野洋平外相ら日本政府側と日米地位協定改定や在沖米軍基地の整理縮小を協議。96年4月、橋本龍太郎首相と共に共同会見し、米軍普天間飛行場を「5~7年以内」で全面返還するという日米合意を発表した。

 モンデール氏は95年6月の「慰霊の日」に村山富市首相らと共に、沖縄戦終結50年の節目の沖縄全戦没者追悼式と「平和の礎」除幕式典に出席した。その年の9月に少女乱暴事件が発生。大田昌秀知事が上京して事件に抗議した際、大田氏に対し「被害者と家族、県民に心からおわびしたい。絶対に許されない行為であり、米軍や米国民にとっても容認できない」と謝罪した。本紙の単独会見でも「非常に残酷な事件だ」と述べ、再発防止を最優先課題とする一方、日米地位協定は運用改善で対応する姿勢を見せた。

 2015年10月に本紙の取材に応じ、日米合意から20年近くたっても普天間飛行場の返還が実現していないことに「長い時間がかかるとは想像もしていなかった」と説明。移設先について「我々は沖縄とは言っていない」と述べた上で「基地をどこに配置するのかを決めるのは日本政府でなければならない」との考えを示した。

 16年5月には、翁長雄志知事が訪米してモンデール氏と会談した。その後の本紙取材に、日本側の要請からわずか2日で普天間飛行場を閉鎖する方向に向かっていったことなど返還の舞台裏を語った。

 17年6月、大田氏の死去を受け「古くからの親愛なる友人を失った」と哀悼の意を表した。「沖縄を訪れたのは20年以上前のことだが、大田さんとは何度も話した。平和の礎を訪れた時はとても感動した」と振り返った。

■基地負担の軽減 「ご尽力に敬意」 玉城知事が追悼声明

 元米副大統領のモンデール氏が死去したことを受け、玉城デニー知事は20日、同氏が駐日大使だった1996年に普天飛行場の全面返還合意を発表したことに触れ「沖縄の基地負担軽減へのご尽力に敬意を表し、ご冥福を祈る」と追悼する声明を発表した。モンデール氏について「沖縄の基地問題について深い理解を示されていた」と語った。

 玉城知事は声明で、2016年に翁長雄志前知事が訪米した際の会談にも言及。モンデール氏が「日本本土にあった米軍施設はより早い段階で返還が決まったが、沖縄については米国は土地を接収して基地を建設した。沖縄の負担軽減や土地の返還は引き続き課題だ」と述べたことを紹介した。

 返還合意が発表されてから25年を迎えた普天間飛行場について「県内移設が条件とされたことから今なお返還は実現せず、所属機の事故や外来機の飛来増加など周辺住民は依然として大きな負担を強いられている」と指摘した。