本土復帰の軌跡、写真8万枚を寄贈 沖教組がデジタル化し読谷村に


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安里積千代社大党委員長(前列左)に銃剣を突き付ける米兵=1969年6月5日

 前身の沖縄教職員会から沖縄の日本への復帰運動などをけん引してきた沖縄県教職員組合(沖教組)が3月、復帰運動や戦後教育の象徴的な場面を切り取った写真資料約8万点を読谷村に寄贈した。沖教組本部が入る那覇市久茂地の県教育会館が取り壊されることになり、資料整理する中で新たに見つかった写真も含まれる。沖縄の戦後史に詳しい明治大学研究・知財戦略機構の村岡敬明研究推進員は「本土復帰までの戦後の沖縄史をひもとく貴重な記録だ」と分析した。

 写真は1950年代から近年まであり、多くは組合活動の記録。その中に復帰運動や全軍労ストライキ、毒ガス移送などの資料が含まれている。沖教組で中央執行委員長などを務めた山本隆司さんが2017年ごろから、保管されている写真資料をデータ化しながら整理した。1万6676点はデータ化されている。

 新たに寄贈された中には、1953年12月に日本に返還された奄美群島の返還10周年の視察、69年6月5日の全軍労ストで米軍に銃剣を突き付けられる安里積千代社大党委員長、58年1月に教育講演会で来沖した広島大学初代学長森戸辰男氏の視察とみられる写真がある。

 沖教組は2013年、沖縄教職員会会長を務めた屋良朝苗氏が読谷村出身だったことから、保管資料を同村に寄贈した。

 今回寄贈された写真には過去の資料と一部重複するものもある可能性がある。一方、復帰行進が立ち寄った県内各地で、歓迎する人々を撮影した写真も多く、同様の事象を捉えた写真でも別カットが多く含まれているとみられる。

 読谷村史編集室は来年度以降、写真をデータベース化して公開する方向で検討している。