抑圧下、果敢な問題提起 現実へ対峙する言葉の力 大城貞俊<圧政下の文化活動>2


社会
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大城 貞俊

 沖縄はいつも過渡期だ。それは特異な歴史や文化を背負った沖縄の宿命かもしれない。米国統治の27年間の詩表現の歴史は沖縄という場所が生んだ顕著な特質を有している。その一つに過酷な状況に対して常に倫理的な姿勢で言葉を紡いできたこと、また言葉の力を模索してきたことが挙げられよう。

 沖縄という場所の特質をいくつか挙げれば、かつて沖縄には琉球王国が存在したこと、1609年に薩摩に侵略され、1879年には明治政府による琉球処分と称される権力行使によって琉球王国が解体され沖縄県が新設されたこと、沖縄戦においては多くの犠牲者が生まれ、戦後は国家間の政略によって亡国の民となり、米国統治下に置かれたこと、そして今なお新基地建設が進められ基地被害が絶えないことなどが挙げられよう。

 文学が生きる場所をテーマにするのであれば、詩の言葉もまた例外でないだろう。人としての存在が脅かされ、平和を希求する思いがなし崩しにされるのであれば、人間としての尊厳を守る闘いは過渡期の様相を呈しながらも持続されるはずだ。その一つが、言葉の力を模索した詩表現である。

 共有する姿勢

 米国統治下の詩表現は時代のパラダイムを共有する倫理的な姿勢に特質がある。

 1940年代は戦争体験の記憶を継承し平和な国家を築いていく気概が多くの詩人たちの共有する詩心となる。例えば牧港篤三、船越義彰、宮里静湖、克山滋などが過酷な戦場から生き延びた体験を詩の言葉に託したのだ。

 ところが50年代になると統治者である米国の軍事優先政策を標榜(ひょうぼう)する圧政が顕著になる。自由と民主主義国家であると思われた米国は、住民の土地を強奪し基本的人権を蹂躙(じゅうりん)する。目前の悲惨な状況に対峙(たいじ)する文学の力が問われる。過去の戦争体験だけでなく現実へ対峙する言葉の力が問われ、日本国への不満や米国統治への怒りとなって噴出する。多くは『琉大文學』に参加した若い詩人や思想家の新川明や川満信一らによって果敢な問題提起がなされるのだ。

 60年代には詩の言葉の自立が模索される。社会へ向けられた言葉のベクトルを自己の内部へ向ける。詩の言葉は他者へ伝わらなくてもいい、思索する道具だとして自らの内面を照らす言葉として紡ぎ出す。この例は清田政信や勝連敏男らの詩人の姿勢に顕著である。

 70年代初頭は個人詩誌、同人詩誌の時代である。祖国が問われ、国家が相対化され、復帰・反復帰の論争が巻き起こる。さらに沖縄が問われ、人間が問われる。この葛藤と思索を表出する場所として既成のメディアを越えた個人詩誌、同人詩誌の隆盛を迎え、若い詩人たちの登場する場所ともなるのである。この隆盛を牽引(けんいん)した比嘉加津夫などの活躍も見逃せない。

 時代潮流を顕示

 米国統治下の時代の詩表現の潮流を顕示する遺産として、いくつかの詩集を挙げるとすれば、まず戦争体験の記憶の継承と平和への願いを込めた牧港篤三の詩画集『沖縄の悲哭』(82年)、続いて50年代の過酷な時代に抗(あらが)う言葉を表出した新川明の詩画集『日本が見える』(83年)、さらに60年代の清田政信の詩集『遠い朝・眼の歩み』(63年)などが挙げられよう。

 また多くの矛盾と悲しみが噴出した基地の街コザに焦点を当てた詩集には仲地裕子の『ソールランドを素足の女が』(73年)、佐々木薫の『ディープ・サマー』(2012年)、中里友豪の『コザ・吃音の夜のバラード』(1984年)などが顕著な例として挙げられる。詩集発表の時代は復帰後だが対象となった詩世界は明らかに植民地然とした沖縄の現状である。

 詩の行方

 かつて吉本隆明が詩とは何かと自らに問い、「現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないことを、書くという行為で口に出すことである」と答えた。私たち団塊の世代の状況への対峙も、このような言葉を探す課題を担った軌跡であったように思われる。「荒れ地」派の詩人へ共鳴し、高橋和巳の全共闘世代への共感に共振した。若い詩人の夭折(ようせつ)に心を痛めロートレアモンやランボーの詩に苦悩する人間への共感や親近感を覚えた。あるいは先輩詩人たちの言葉にうろたえ、免罪符を求めてひたすらにくぐもった時代の沈黙の言葉を探したのかもしれない。

 しかし、今日では多様な詩表現がある。アウシュビッツから生還したパウル・ツェランや、済州島4・3事件を体験した金時鐘らの最後の砦(とりで)とする言葉の闘いにも勇気づけられる。

 沖縄においても相手に届く言葉は文学の言葉から生活の言葉への射程を擁して試みられている。沖縄という土地が記憶した言葉の発見やシマクトゥバの力は、このことの示唆にもなろう。与那覇幹夫の「ワイドー沖縄」や、八重洋一郎が発見した「日毒」という言葉は、詩の行方を示唆する一つの答えのようにも思われる。  (次回は5月11日掲載予定)

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 おおしろ・さだとし 1949年大宜味村生まれ。元琉大教育学部教授。詩人、作家。高校教師を経て2009年琉大に採用される。主な著書に小説「椎の川」「一九四五年チムグリサ沖縄」「海の太陽」など。