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優先度下がり担当部署は「格落ち」も 沖縄県「女性」施策の変遷 <「女性力」の現実 政治と行政の今>18


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県にジェンダー平等に向けた施策のさらなる推進を要望するおきなわ女性財団の大城貴代子理事長=4月15日、那覇市

 「弟は自分がお茶わんを洗いたくなくなると、必ず『何で俺がこんなことしないといけないば。女のやることだ。俺は男だからやらないよ』と言う」(波照間中学生)

 「会社では社長、課長、部長、係長などの偉い人はほとんど男性だ。女性の下で働くのを嫌がる人もいる。頭ごなしに『どうせ女は何もできないだろう』と決めつける人もいる」(安岡中学生)

 これらの声は最近のものではない。1992年に県総務部知事公室(当時)に発足した女性政策室が、県内の中高生から男女平等に関する意見を募って制作した冊子「男女平等に関する10代からのこえ」から抜粋した当時13~18歳の子どもたちの声だ。

 「なぜ女生徒はスカートで、男生徒はズボンなんだろう」「その人と結婚したからといってその人の自由まで奪うのか。結婚してもお互いが名乗りたい方の名にすればいい」などと、制服や選択的夫婦別姓制度など現在でも議論が続くテーマも当時からあった。

 冊子作りに携わったのは当時女性政策室長で、現公益社団法人おきなわ女性財団理事長の大城貴代子氏だ。「あのころは世の中にジェンダーという言葉もなかった。冊子を読むと、男女混合名簿など解決している課題もあるが、変わっていない面も多い」と語る。

 沖縄県の女性施策が始まったのは琉球政府時代の54年、労働局内に働く女性と子どもを対象とした「婦人少年課」が設置された時からだ。日本復帰後の76年からは県労働商工部に婦人行政担当の専任職員1人が置かれ、79年には生活福祉部に「青少年婦人課」が誕生した。

 90年にリベラル色の強い大田昌秀県政が誕生すると、当時筆頭部局に位置付けられた総務部知事公室に女性政策室を発足した。現在の女性力・平和推進課は子ども生活福祉部内にあり、長は課長級だ。だが同室の長は格上の次長級が充てられ、初代は後に県庁初の女性部長となる安里和子氏だった。

 同室は、現在第5次まで続く女性施策の長期計画「DEIGOプラン」を初めて策定した。その後、男女共同参画社会基本法の制定に伴い、同室の名称は2000年から男女共同参画室に変更。女性に主眼を置いた施策から社会的・文化的な性別を表すジェンダーを重視する方向へ変わっていき、05年からは課に“格落ち”した。

 再び「女性」施策を重視するようになったのは玉城デニー知事だ。19年度から子ども生活福祉部の「平和援護・男女参画課」を「女性力・平和推進課」に名称変更し、再び「女性」を前面に押し出した。県関係者によると、玉城知事の就任によって、県庁内で女性施策に関する予算が以前より通りやすくなったという。

 大城氏は現在の県の女性に関する施策の優先順位は約30年前より後退していると指摘。次長クラスが長を務める室へ戻すべきだと提案した。

 現在81歳の大城氏が琉球政府に入庁したころは、「男性は外で働き、女性は家庭」の考え方が常識で、女性の就職は良い結婚相手を見つけるまでの「腰掛け」が一般的だった。「雇用の調整弁とされていた時代から法制度は変わり、女性を取り巻く環境は変化した。ただ、家事育児介護を女性に押し付ける家庭の問題は変わっていない。男女不平等が残っているのに、女性活躍だと言われてもふに落ちない」と語った。 (梅田正覚)

ご意見募集

 世界的にも遅れている日本の「ジェンダー平等」。玉城県政は女性が活躍できる社会の実現を掲げ、県庁内に「女性力・平和推進課」を設置しましたが、政治や行政分野で「女性の力」を発揮する環境が整わない現状があります。女性が直面する「壁」を検証します。

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